進撃のボクヲタ

30代会社員のボクシング観戦記&その他の雑記

本物志向の原点。大橋秀行vsリカルド・ロぺス

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今日、10月25日はあの日。
大橋秀行vsリカルド・ロペスの日。 

 

 

29年前の1990年10月25日。
後楽園ホール。

当時のロペスの世界ランクは4位。
大橋は選択試合で強豪のロペスを選んだ。

 

結果、5回TKOで大橋は敗れロペスはそのベルトを21度防衛。更にライトフライ級に階級を上げて2階級を制覇した後、生涯無敗のまま引退。歴代PFPの上位争いにも顔を出す程の歴史的英雄となった。漫画"はじめの一歩"に登場する生きる伝説、リカルド・マルチネスはこのロペスがモデルになっている。

 

「その時、最強と言われる選手と戦うべきだ」

 

あの日から29年、大橋イズムは濃い血となり彼の後輩達にしっかりと受け継がれている。

 

語り継ぎたい大橋とロペスの熱い物語。

 

少しでも、大橋の現役時代を知らない人達に伝えられたら嬉しい。

 

試合回想までは大橋、それ以降は大橋会長と記します。

 

INDEX ・見せ場もあった完敗
・リカルド・ロペスの涙の理由
・受け継がれる大橋イズム
・"本物志向"の原点

見せ場もあった完敗

大橋は試合前にロペスの映像を見て、評判は高いが勝てると思ったと言っている。選択試合だから簡単に勝てそうな相手を選ぶ事も出来たはずだが、そういう考えは彼にはなかった。

 

王者でいられる時間は限られている。挑戦者を選べる立場にいる間は、強いと言われる選手と戦いたいと。

 

5回TKO敗けの試合ではあるけど、何も出来ずに負けた訳じゃない。ロペスの顔色を変える見せ場も作った。

 

初回と2回に大橋の右フックがクリーンヒット。被弾したロペスはほんの一瞬たじろいだ様に見えた。そう悟らせない様にフットワークを駆使して試合の主導権を渡さなかったが、「もう少し深い角度で入れば…!」という期待も持てるシーンで、この時点では試合の行方はまだ分からなかった。

 

次の3回以降、大橋は極端に手数が減ってしまう。一発を狙い過ぎて手数が減ったのかと想像していたが、本人曰く「出す前にパンチを避けられてる気がした」大橋ほどのボクサーにそう思わせるロペス。

 

やはりただモノじゃなかった。

 

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5回、大橋はこのダウンからなんとか立ち上がったものの足元が定まらず、試合終了。

 

大橋の勝利を信じたファンにとって辛い結末だったが、彼はここで終わらずに再起して見事に世界王者への返り咲きを果たし、1994年に現役を引退した。

 

大橋戦はロペスにとっても思い出深い一戦であり、WBC総会やイベントなどで大橋を見つけると必ず「オオハシ!」と言って握手を求めてくるという。

 

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大橋から獲ったベルトをロペスが何年も何年も防衛を続けて負けないものだから、引退から数年経っても大橋はずっと"前王者"のままだった。

リカルド・ロペスの涙の理由

2013年7月に新宿で「拳闘芸人トークライブ」というイベントがあった。ここで聞いたときめく話を今日、共有したい。

 

ボクシング好きの芸人が集まって名試合やトピックスを振り返る内容でその場には大橋会長、和氣慎吾選手がゲストとして招かれてトークに参加。ファン心を掴むとても有意義なイベントだった。

 

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新宿の会場でギャラリーは30~40人ぐらいだっただろうか。ここで大橋会長から直接聞けたロペスとの話しは感動的だった。

 

「世界王者の大橋より、ロペスにベルトを獲られた大橋」に価値があると、当時から現在の事までを熱く語ってくれた。

 

「正直な話、私が海外の総会やイベントで『元王者の大橋だ』と言っても、誰も分からないんですよ。ところが『ロペスにベルトを獲られた大橋だ』と言うと誰もが『オッー!』となる。だから、その時代に最強と言われる選手がいるなら絶対にやっておいた方がいいと思うんです。その経験は後々必ず活きてくる」

 

そしてロペスの涙についての逸話を教えてくれた。

 

「ロペスは引退後、私との試合でメキシコ国歌が流れた時、恐怖のあまり涙が出てしまったと話していました。実際に映像を見ると、ロペスが泣いているんですよ。

 

選手ってね。みんな怖いのを隠す。

強がるんです。

 

だから私はロペスの話を出して、『あのリカルド・ロペスだって足が震えるんだ。怖いと思うのは恥ずかしいことじゃない。恐怖と向き合うことが大事なんだ』と話すんです」

 

この話はトークライブから6年経った今も忘れられない。聞いた瞬間に熱いモノが込み上げて来て、ツイッターで長文を呟いた事を覚えている。

受け継がれる大橋イズム

大橋会長はこのトークライブから1年後、八重樫の防衛戦の相手としてローマン・ゴンサレスからオファーが来た時のことを専門誌のインタビューで語っている。

 

会長自身がロペスと戦ったからこそ得られたものと、その意味を伝えると八重樫は迷うことなく「やります」と即答。

 

強敵とのマッチメークは、黒星を喫するリスクよりも得るものが多い。戦わない人が言うのは簡単だと思う。それを即答でやると答えた八重樫に大橋会長は「これで最後とか思うな、そんな切羽つまった気持ちでやるな」そう伝えたらしい。

 

2014年の9月5日、代々木第二体育館。


八重樫はロマゴンに敗れたが、この試合で彼は何かを失ったのだろうか。

 

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ロマゴン戦以降、試合前に八重樫がコールされる時はひときわ大きな大歓声が沸き上がる。八重樫の熱いラッシュと、勝利の瞬間に子供の様に涙するロマゴン。この試合を見た人は絶対に忘れない。

 

ベルトはいつか手元から無くなる。
でもきっと八重樫ロマゴン戦はファンの記憶に残り続ける。語られ続ける。

 

僕は最近、ツイッターで名勝負の記念日に「今日は○○の試合の日です」という記念ツイートをしていて、9月5日に八重樫ロマゴン戦の事をツイートした時の反応はこれまでツイッターを使ってきた中で一番多かった。

 

「あの試合、泣きました。今も大切な宝です」
「5年経つんですね。熱い気持ちが蘇ります」

 

そんなリプやDMが沢山来たの見て、沢山のファンの思いを肌で感じた。

家族じゃないから言えることかもしれないが、八重樫はロマゴン戦をやって失ったものより得たものの方が遥かに多いと思う。

"本物志向"の原点

大橋会長がロペスと戦った1990年は平成2年。

 

アニメちびまる子ちゃんの「おどるポンポコリン」が大ヒットした年だ。

当時まだ小学生だった僕は、29年後もこのアニメが日曜の18:00という国民のゴールデンタイムに放送され続けているとは思いもしなかった。


「おどるポンポコリン」は今も毎週、お茶の間に流れている。この年に生まれた不滅の名作のひとつだと思う。

 

大橋秀行vsリカルド・ロペス戦もまた、不滅のメモリアルファイト。"本物志向"の原点とも言える試合。

 

この試合で得た大橋会長の経験が今、活きている。

 

井上尚弥の活躍で、WBSSのパヤノ戦の試合会場には若年層のファンが以前より増えた気がして嬉しかった。同時に大橋会長の現役時代を知らない人も随分増えて来たと思うので、そんな方々に少しでもこの熱い物語を伝えたい。

 

試合会場で彼がリングに上がり「フェニックス・大橋秀行!」と紹介された時は是非、はち切れんばかりの大歓声で彼を称えて欲しい。