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ファン歴30年のボクシングファン。当メディア運営者のTokkyです。選手のセカンドキャリア、各界のファン達を始め人にフォーカスした独自の切り口での取材記事を発信しております!

武と知の将 ボクシングジム会長 大橋秀行

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拳人のセカンドキャリア#10はこのお方です。元WBA・WBC世界ストロー級王者で、現在は大橋ボクシングジム会長の大橋秀行さん。現役引退後のセカンドキャリアでボクシングジム経営の道に進んだ人達の中において、 とても逞しい成功を収めている一人だと思います。そんな大橋会長に現役時代の思い出の振り返りから、現在のご自身の詳しい仕事内容やボクサー達のセカンドキャリアについての思いをお聞きいたしました。

INDEX

大橋秀行プロフィール

大橋秀行
生年月日:1965年3月8日生まれ
プロ戦績:24戦19勝12KO5敗
元WBA世界ストロー級王者
元WBC世界ストロー級王者
現職:大橋ボクシングジム会長

主な経歴
STEP
小学生時代

世界王者を目指すと小学生の時に決意
お兄さんとの格闘技ごっこで鍛えられる

STEP
逞しいアマ時代

アマ時代の宿敵、名嘉真堅安に3度目の対戦で勝利

STEP
プロデビュー

1985.2.12 相方将克に1回KO勝ちでプロデビュー
以後、日本Jrフライ級タイトル獲得

STEP
WBC世界ストロー級タイトル獲得

1990.2.7 崔漸煥に9回TKO勝ちでタイトル獲得

STEP
後の伝説王者と対戦

1990.10.25 リカルド・ロペスに5回TKO負け

STEP
WBA世界ストロー級タイトル獲得

1992.10.14 崔熙墉に判定勝ちでタイトル獲得

STEP
ラストファイト

1993.2.10 チャナポーパオインに判定負け

STEP
ジムをオープン

1994.2.22 大橋ボクシングジムオープン
以降、数々の名チャンピオンを輩出し今に至る

世界王者になる決意は小学6年生

大橋会長はどんな少年だったのでしょうか。おとなしそうなイメージはあまりないのですが。

「強かったですよ!いじめられっこタイプではないですね。いじめてはいませんが(笑)小学生低学年ぐらいから兄貴とおもちゃのグローブでボクシングごっこをやって鍛えられてました。他にも相撲、柔道、空手、レスリング。あらゆる格闘技で兄貴の相手をさせられていたんですが、5歳も違うから勝てないんです。どうすれば勝てるんだろうって日々、試行錯誤してました」

小学生が5歳上のお兄さんに勝てないのは当然かと思うのですが、勝てないで終るのではなく勝ちたいと思っていたのですね。

「とにかく兄貴に勝ちたい!がありました。勝つのは難しかったけど兄貴との格闘技ごっこで鍛えられたおかげで、同学年の子達よりは自分が強くなってる実感はありましたね。中学時代の体育の授業で柔道があり、未経験から3年連続で軽量級で優勝。あと腕相撲も強かったんですよ」

自然と"戦う男"の土台が作られていった幼少時代が想像できます。ボクシングで世界を目指したい!と考えたきっかけについて教えてください。

「ボクシングって凄い!と強烈に印象に残っているのが1976年の輪島功一vs柳済斗。初戦でKOされて不利予想だった輪島さんが、炎の様な闘志を滾らせ最終15回にTKO勝ち。興奮、感動、ドラマ。ボクシングってこんなにも観る人の心を揺さぶるのかと。自分もやると決心するきっかけになったのは同じ1976年の具志堅用高vsファン・ホセ・グスマン戦を観た時です。前日の10月9日にロイヤル小林さんがリアスコにKO勝ちで世界王者になって、その興奮が冷めない中で翌日の10月10日に具志堅さんもKO勝ちで世界チャンピオン。予想は不利と言われていた中での劇的な新チャンピオン誕生劇に感化されたあの瞬間ですね。自分も絶対に世界王者になるぞ!と夢じゃなく本気で思いました。小学6年生の10月にそう決意したんです」

"夢じゃなく本気で思った"はカッコ良い!

「ボクシングヒーローに憧れる同学年は沢山居ましたが、本気で痛い兄貴との連日の対戦ごっこで鍛えられてた分、自分は強くなってるという自信はありました。その頃、部屋の天井に当時のボクシングマガジンの付録ポスターを貼ってたんです。当時の世界王者達の写真をバッ~っと天井に並べて貼って、それを眺めながら《自分もこの中に入るんだ》と思いながら眠りについていた日々が懐かしいです。今もスマホに残してあるんです」

秀行少年が天井に貼っていたボクシングマガジンの付録①

150年に一人の反骨精神

アマ時代のエピソードをお聞かせください。

「沖縄の名嘉真堅安選手へのリベンジに燃えたアマ時代でしたね。僕は中学生の時に当時の日本チャンピオンと内容の良いスパーリングをしてたので自信満々で。高校二年の時にインターハイで優勝したのですが、その後で沖縄の名嘉真選手に負けてしまって凄くショックでした。リベンジに向かって練習したのに再戦でも3-2で判定負け。彼に勝つために考え抜いたことを全部出し切って、3度目の対戦でようやく勝てました。当時10階級中6階級のアマチュアチャンピオンが沖縄っていうぐらい沖縄が強かったんです」

お兄さん以外の相手に勝てない事なんてそれまでなかったので、名嘉真戦での敗戦は意味合いが深いものだったと思います。そこからリベンジに燃えて3度目の対戦で勝つというのが大橋会長らしいです。

「正直に言ってプロになったらすぐ世界を獲れると思ってました。知っての通りそんなに甘くなかったですけどね(笑)アマ時代に打倒沖縄!で頑張ってたのがプロになったら打倒韓国!に変わりました。あの頃は韓国がアマもプロもつよくてチャンピンが沢山いた時代なので」

5歳年上のお兄さんに勝ちたい。強い沖縄チームに勝ちたい。強い韓国選手に勝ちたい。自分より実力が上の人に勝ちたいという反骨精神はもとからお持ちだったのでしょうか。それともそんな精神が生まれる出来事が何かあったのでしょうか。

「それはもとから持ってましたね」

大橋会長の強さのコアの部分はそこだと思います。そういう精神を持てない人の方が多いのに、誰に言われたわけでもなく強い反骨精神を元から持っている。デビューした時の150年の一人の天才という売り出し文句を、もっと解像度を高く表現するなら150年に一人の反骨精神です。

「そうかもしれないですね。それにしてもヨネクラ会長はなんで中途半端な150年にしたのか。なんで200年じゃなかったんでしょうね。そういう突っ込み所を作ってくれたのかな(笑)」 

夢中になって、気が付いたら山の頂上

現役時代の思い出の中で、一番嬉しかったことを教えてください。

「世界を獲った時です!試合中のお客さんの歓声や天井のライトの眩しさ…35年経った今も昨日の事の様に覚えてます。日本人ボクサーの世界挑戦が21連続失敗中だったので、注目の集まり方がそれまでの世界戦とは全然違ってました。負けた時は兄貴が迎えに来てくれるんですが、世界王者になった時は外に出たら黒塗りのハイヤーが停まってて、そのままテレビ局に各局生出演して家まで送ってくれました。翌日の会見に電車に乗って行ったら"昨日チャンピオンになった大橋がいるぞ!"となり電車内が大パニックになっちゃいまして。ジャージ一枚で会見場に行ったら2月だから寒かったんです。そしたら新聞記者の人達がお金を出し合って、高島屋でコートを買ってプレゼントしてくれて…どの出来事も忘れられません。全てが眩しくて、嬉しい思い出です」

日本人が21連続失敗中だった世界挑戦をあんな劇的なKO勝ちで実らせたのですから、それぐらいのチヤホヤ度になりますよね。

「ずっと日本人世界王者不在の時期が長く続いてた中で勝ったのは大きかったですね。二回目に世界タイトルを獲った時は鬼塚さんや辰吉さんが居たから、最初に獲った時ほどの騒ぎにはなりませんでした。あれっ?て感じで(笑)会場が後楽園ホールより広い両国で、決着がKOじゃなくて判定だったのもあるかもしれませんが」

ご自身で選ぶベストファイトも世界を獲った崔漸煥との試合でしょうか?

「崔漸煥との試合ですね。張正九には勝てませんでしたが、コリアンファイター対策をずっと練習してたので勝つ自信がありました。離れてもすぐに距離を潰されて相手の攻撃に巻き込まれるので、距離を取っても捕まってしまう。なので相手が得意とする接近戦であえて戦うのです。そこで打ち勝てば相手から離れるようになる。インサイドからショートアッパーを突き上げてペースを掴んでいく負けない接近戦。それが出来る様になっていたので崔漸煥戦の時は勝つ気満々でした。結果、その通りの試合になりましたね」

ショートレンジで激しく打ち合う場面が多かったです。大橋会長と言えば、激闘を繰り広げた韓国選手達と今でも連絡を取り合って、ツーショット写真をSNSにアップされているのがとても印象的です。

「張正九とは何度も会ってるし電話もします。英語と日本語と韓国語で会話しますよ。アニョハセヨ~元気~ケンチャナヨ~弟よ!弟よ!で会話は終わるのですが、拳友の元気な声を聞くのは嬉しいものですよ。リカルド・ロペスとも何度も再会してます。負けたけどロペスと戦って得たものは大きいので感謝の気持ちがありますね」

今振り返れば、あの時に指名試合でも何でもなく選択試合でリカルド・ロペスを選んだというのも凄いです。

「ロペスは22回防衛する名王者になりましたから。彼が負けないから僕はずっと"前王者"だったんです。同じ時代の近い階級に伝説的な強い王者がいるなら、絶対に戦った方が良い。八重樫がロマゴンとやる時もその話をしました。尚弥にも同じことを言ったんだけど…尚弥は自分が伝説になっちゃった(笑)」

試合に負けた後もすぐに前を向ける大橋会長にとって、現役時代で一番辛かった事って何でしょうか。

「無いですね。練習も好きでしたし。そもそも辛いと思ってたら出来ないスポーツですからね。嫌いだったり辛かったら続けられない。ボクシングが好きだったから続けられたんです。趣味でオオクワガタを飼っているのですが、山にオオクワガタを探しに行って、夢中になって気が付いたら山の頂上にいた。そんな感じですかね」

夢中になってたら山の頂上にいた。とても良い言葉です。

現役中から引退後の仕事をイメージ

現役の時から引退後に何をやるか考えていたのでしょうか。

「考えてました。僕は色々な事を考えるのが好きなんです。心のどこかで負けた時の準備をしているというか、自分を安心させる様にしてる。長い人生を俯瞰して見てる感覚もあり5年先10年先のことを考えますね。計画的に仕込んで準備したものが花開くのは嬉しいです。今、大橋ジムが実現出来てることって3年前にやってたことですから。今やってることは3年後に形になる。キッズボクシングなどは良い例です」

現役生活を送りながら、引退後はボクシングジム経営に進もうと具体的に考えていたという事ですね。

「そうです。米倉会長は僕に目をかけてくれてプロモーター領域の事も多く経験させてくれました。後援会対応を学んだり、テレビ局との話し合いの場に同席したりしました。現役生活の後半、2度目に世界王者になる時は相手陣営との交渉の場にも同席してたんですよ。オプション(再戦に関わる興行権)の詰めを自分でやったりしてたんです。興行オプションが3つあるって言われて、3つもあるのはおかしいよ!と言いながら相手陣営と交渉してました(笑)だから引退後も違和感なくビジネスに入っていけた側面もあり、ヨネクラ会長には感謝してます」

米倉会長は大橋会長にヨネクラジムを継いで欲しかったのかもしれませんね。

「そう言われてました。ある時、僕が米倉会長に提案したんです。キッズボクシングやエアーボクシングを取り入れましょうと。新しいボクシングも作っていくべきだと。そしたら〈そういうものはおまえがトップになってからやればいい〉と言われて実現せずです。当時はプロの試合が大事で練習生は二の次って感じでしたね」

今盛り上がっているキッズボクシングやエアーボクシングの発想が、その当時から大橋会長の頭の中にあったのが凄い。世の中のニーズを汲み取る能力も才能だと思います。

「思いついた事は計画的に進めていくタイプです。大橋ジムのオープンも実は1年引っ張ったんですよ。米倉会長に引退会見を1年待って欲しいと頼んで、その間にジム開きの準備をしてました。1994年2月7日に引退会見を開いたときはジムがもう完成してて、引退会見の場で2月22日にジムを開きますと言ったんです。当時はまだSNSがない時代でしたが新聞各社が大橋ジムがオープン!と大きく書いてくれて、1日ですごい数の人が入ってくれた。初速は大事なので作戦成功でしたね」

計画的に仕込んで準備したものが花開くという営みはジムのオープン時からなのですね。ところで、米倉会長が大橋会長を商談の場に同席させた様に、大橋会長も後輩の誰かにその様な経験を積ませているのでしょうか?

「はい。八重樫です。そして井上もと考えています!」

ジム経営の基盤は一般会員

ジム経営を始める時、お金の収支計算に関してそれまで経験が少なく苦労したり、経理は奥さんに任せていたりという話を聞くことがありますが、大橋会長はそのあたりも得意そうですね。

「得意です。妻は元銀行員なので経理に強いんですけど、僕も自分で決算書を読めますし、頭に入ってる情報とこれまでの経験から必要な計算がすぐに出来るんです。この興行の収支はだいたいこれぐらいでしょ?ってパッと頭で考えた金額を妻に言うと、だいたいその金額で当たってる」

ジムを開くから経理の勉強をされていたのか、元からそういう事が得意だったのかどちらでしょうか。

「現役時代から経営や会計に興味があって本を読んでました。いずれ何をやるにせよ経理の知識は必要になるのだから読んでおこうと。サラリーマンなら会社に通って仕事しながら覚えるチャンスがあるかもしれないけど、ボクサーはいつか苦労するから、時間がある時にそういう知識をインプットしておきたいという意識が強かったんです。後援会システムも自分で考えて作りましたからね。その分野に詳しい人に頼むよりも、可能な限り自分でやった方が良いという考えです」

ボクシングジムの経営において大事な事っていくつかあると思うんですが、オープン後に軌道に乗せるには一般会員さんをしっかり集めて、安定的な収益を確保していく事が優先なのでしょうか。

「その通りです。まずは一般の練習生を沢山集めて経営を安定させる。そこからです。それをどれだけ集められるかが大事。収益の基盤ですから。いきなりプロで世界王者を作ると言っても、莫大な先行投資が必要になります。ここが難しいんですよ」

ちなみにプロの世界王者が増えると一般会員も増えるものでしょうか?例えば井上尚弥さん効果の様なものが、一般会員の入会数にも影響しているのでしょうか。

「あります。一般会員も増えましたが、一番影響があるのはキッズ達です。すごく増えたと思います。井上に憧れて入って来てくれるキッズ達です」

終わりなきマッチメイクのラリー

現在のお仕事の内容を教えてください。よくある1日のスケジュールはどんな流れなのでしょうか。

「日によって全然違うのですが、忙しい時はめちゃくちゃ忙しい。マッチメイク関連で稼働している時間は長いですね。ジム内ではプロ選手のスパーリングを見る時間を必ず確保する様にしてます」

マッチメイクについて興味深いので、詳しく知りたいです。どの様に試合が決まっていくのでしょうか。

「ウチのジムの選手と対戦させたい選手の目星を付けて開催日時・場所・ファイトマネーを書いて、これでどうでしょうか?とLINEで送ります。そのやりとりのラリーの時間が長いです。オファーを出す前に対戦相手の映像は全てチェックしてます。肉体的にではなく頭の中が忙しい。半年先の話をずっとしてる感じですね。今は2月ですが、もう6月や8月の興行の話を進めてるんですよ。(※この記事の取材日は2025年2月15日)海外のプロモーターとも同じ方法でSNSでコミュニケーションを取ってます。サウジアラビアのトゥルキ長官ともSNSのメッセージでのやりとりですね。それで大きな話が決まってます。英語への変換機能を使えば大抵の事は決められますよ」

普段ファンが目にするビッグニュースはそういったやりとりで決まったことが多いという事ですね。マッチメイクの大変な部分、苦労する事ってどんな事でしょうか。

「ずっと続く事ですかね。映画みたいには終わりがない。計算高さと記憶力が必要で、その興行の予算と見込収入はスパっと計算できないといけません。ですがそれを苦労だと思った事がないんです。趣味の延長みたいなもので。さっきの話と似てますが、楽しくて好きな蝶々を追いかけてたら山の頂上まで来ちゃったみたいな感覚です」

趣味の延長=好きな事だと思いますので、好きが一番の原動力なのですね。トレーナー陣との定期ミーティングの様なものはあるのでしょうか。

「今は無いです。個別にはあるけど全員まとまってやる定期的なものはやってないです。それより選手達のスパーリングを観てます。スパーリングを観てる時間はそれなりに長いです。スパーで良い所を見せてないと、試合は組まないよというのが僕の考えです。スパーは弱いけど試合で強いではダメで、スパーで強くて試合でも強い必要があります。それは選手達にも伝えているので、常に見られてる意識を持ってスパーをやってくれてると思います。本気でやってる選手にはこちらも本気でチャンスを与えて返します。そういうスタンスです」

合宿や出稽古まで全て会長が見る事も出来ないですし、ジム内でのスパーリングは選手たちの成長度を見るとても大切な時間という事ですね。

「そうです。朝練に行ってるかどうかもチェックしてますよ。野木トレの写真を見てこの選手は来てるな。あの選手は来てないなとちゃんと確認しますから」

野木トレの写真がSNSで流れて来ると、ファンは推しの選手が参加してるかどうか見てますが、大橋会長はまた違う目線であの写真を見てるとは知りませんでした(笑)

「SNSで選手達が発信してる事もざっと目を通してますし、ボクシングファンがどんな事を投稿しているのかも目を通す様にしてます。少し前に井上戦のチケットサイトが購入し辛いという意見が複数上がっているのを見つけて、その意見を参考にチケットサイトを直しました」

会長が直接SNSでファンの声を拾ってすぐに動いてるのは素晴らしいです。確かにチケットサイトは依然と比べて抜群に使いやすくなったと、絶賛の声がXに溢れていたのを覚えています。

ジムから初の世界王者 川嶋勝重

1994年の大橋ジム設立から10年後の2004年に川嶋勝重さんという世界王者が誕生しました。大橋会長はジムから初めての世界チャンピオンが《井上や八重樫でなく川嶋だったことに意味がある》という話をよくされてますね。

ジム初の世界王者となった川嶋勝重さんに駆け寄る大橋会長

「川嶋は叩き上げなんです。今は叩き上げの世界王者なんていないじゃないですか。格闘技経験ゼロで21歳からボクシング始めたんですから。井上、八重樫、武居よりも川嶋が優れてるのは3分間の練習の集中力と努力です。よく世界王者にまで上り詰めたと思います。川嶋の背中を見て八重樫が、八重樫の背中を見て井上が、井上の背中を見て武居が頑張ってくれてる。この30年の間で良いスパイラルになってると思います」

ボクサーにとって一つの大きな称号となる世界チャンピオン。世界を獲る選手と、獲れない選手の違いはどこにあるのでしょうか。

「運ですね。運以外はないです。もちろんその選手が持ち得る長所を最大限に引き出す努力を重ねてる前提ですが、あとは運。その努力をしてる選手に運が回って来る可能性が高いんです。そういう選手の元に運が来るようになってると思います」

サム・グッドマンにはそれが無かったのですかね~。

「グッドマンかぁ。そうですね~今のところは(笑)」

大橋ボクシングジム、成功の理由

大橋会長はご自身が描いた未来を現実にして成功されています。そうなる為に必要だと思う事を教えてください。

「拳人のセカンドキャリア」出版記念イベントに登壇してくれた大橋会長

・時代のニーズを捉える
・継続は力なり!
・あとは運

時代のニーズを捉える

「昔の〈こうやれば成功する〉を真似しても時代は変わります。時代に合わせたやり方をしないといけません。例えば30年前のボクシング中継は地上波が最強でしたが、今それをやってたらダメ。大切なのは《そうなりそうな状態である事を、人に言われて気付くのではなく一番最初に自分が認識して理解する事》だと考えてます。時代のニーズを捉えるには他人に頼らず、世の中の仕組みをしっかり学んでおく必要があります」

継続は力なり!

「継続は力なり。これが一番です。一度やると決めたらやり続ける事が大切です。失敗したり思い通りに行かなければ原因を追究してまたチャレンジすれば良い。大切なのはその営みを止めない事。進み続ける事です。なぜ自分はそれが出来るかというと、好きだからです。ボクシングが好きだから継続が出来ます」

あとは運

「うまく事が運ぶか、そうでないか。やってみないと分からない事も多い。その場合は運です。コントロールできる所は最大限に自分で頑張ってうまく行く可能性を努力で最大値まで上げる。そのうえで結果が付いてくるかどうかは運です。想像もしなかったデメリットに気付く事もあれば、思いもよらないメリットを発見する時もあります」

本田会長への思い

お話をお聞きしていると、商談の場に同席させてビジネス経験を積ませてくれた米倉会長の影響はとても大きい様に思います。大橋会長のここまでの歩みにおいて大きな影響を受けた人物は他にもいますか?

「本田会長です。強烈に良い影響を与えていただいてます」

※本田会長:帝拳プロモーションの本田明彦会長。

「1994年のジムを開設して間もない頃にたまたま後楽園ホールの通路でお会いしたら、本田会長から《大橋君!頑張ってるね》と声をかけていただけて。本田会長が企画した若手の会長職を集めた食事会の場で色々な事を教わりました。駆け出しの頃のマッチメークに関しても色々とフォローを入れてくださるとても親切な方なんです。よくSNSで本田会長の良くない書かれ方、妙な都市伝説みたいなのあるじゃないですか?あれは嘘です。違いますから。全然そんな人じゃない」

本田会長ご自身の発言をファンが聞く機会が少ない事も影響しているかもしれませんね。興行の発表会見で記者相手に話した言葉が記事になるのはたまに見かけますが…本田会長のお人柄については、大橋会長が発言されるのが一番響くと思います。

「こう書いといてください。本田会長が悪い人だったら僕はとっくに戦ってます(笑)悪い人だったらこんなに長くボクシング界への貢献を続けられないですよ。本田会長はめちゃくちゃ記憶力が良くて4回戦の選手のことまでとても詳しいんですよ!熱いボクシング愛があるからボクシング界への貢献もずっと続いているし、僕もずっとリスペクトしています。ある時、マッチメイク代をお支払いしようとしたら本田会長は受け取りませんでした。足りないのかな?と思ったのですが《振り込んだら付き合いを辞める》と言われました。本田会長のボクシング愛の部分がもっとボクシングファンに伝われば良いのに!と強く思ってます」

大橋会長の本田会長への熱い思いが伝わって来ますが、読者に100%伝わる様に書くために、いつか僕が本田会長にお会いして直接取材する必要がありますね!(実現させたい)

ボクサーのセカンドキャリアについて

これまでブロガー活動を通じて多くの元ボクサーの方にお会いして感じてる事ですが、ボクシングというスポーツを自分なりに納得いく所までやった人は何にでもチャレンジできるバイタリティがあると思ってます。大橋会長は元ボクサーにどんな仕事が向いてると思いますか?

出版記念イベントでファンの質問に答えて下さる大橋会長

「自分で頑張ってチケットを売ってたボクサーは次でも成功してます。あれって営業センスが磨かれる営みだと思うんです。選手がチケットを手売りしなきゃいけない現状はボクシング界の課題のひとつだし、サッカーにも野球にも相撲にもない悪いシステムかもしれない。だけど営業力は磨かれます。断られても、次また試合やるんで観に来てください!と自分を売り込むアクションの継続です。その中で〈誰にどういう声掛けをするのが一番効率的か?〉を自分で考える様になる。売る選手はハンパじゃない枚数を売りますから。その経験と営業力を他の事に活かしたら凄いですよね」

内山高志さんは現役時代、常に自分のプレゼン資料を持ち歩いていつでも自分を売り込める状態で日々過ごしていたと聞いた事があります。

「内山は特別ですね。あれだけ気が利いて立ち回りが上手い人なら何をやっても大丈夫でしょう。あとTokkyさんがブログのお店レポでよく紹介してるのを見てますが、飲食店をやってる人も多いですね。飲食店を成功させるのは本当に難しいと思います。無くなってしまうお店も多い中で、逞しく経営を続けていける店主はやっぱり賢くて熱い人間。あと運を持ってます。先日、元大橋ジムのプロだった渡辺竜二の焼き鳥店〈まだらや〉に行ったら繁盛してて嬉しかったなぁ」

まだまだ今は夢の途中

沢山の夢を叶えている様に見える大橋会長ですが、きっとご自身の中ではいくつもある夢の中のまだ一部なんだろうなという気がします。これから5年後10年後の夢をお聞きしたいです。

「大橋ジムから世界ヘビー級チャンピオンを出すことです!ライト級からウェルター級の中量級での世界戦線にも風穴を開けたいですが、やっぱりヘビー級ですね。サウジアラビアに行ってトゥルキ長官と話してても日本のボクサーを井上尚弥と中谷潤人しか知らないんですよ。他にも世界王者がいるのに全然知られてない。ここで日本から中量級で世界を賑やかすスター選手が出たりヘビー級の世界王者がでたら、きっとトゥルキ長官の方からその選手の名前を言ってくるんだろうなと思うんです。そこまで行きたいですね」

日本ボクシング界の躍進に多大な貢献をしている大橋会長なら、世界ヘビー級チャンピンという大きな夢もきっといつか!と期待しております。

「期待しててください。今のキッズ達もスター予備軍だらけです」

取材を終えて

大橋会長は「武と知の将」です。幼い頃から5歳上のお兄さんとの格闘技ごっこの相手をさせられ、勝てなくても勝ちたい!という思考になっていたという150年に一人の反骨精神の持ち主…つまり武の心を生まれ持っているのです。そして知に関してはこの言葉が示しています。

「現役時代から経営や会計に興味があって本を読んでました。ボクサーはいつか苦労するから時間がある時にインプットしておくべきだという意識を強く持っていたからです。後援会システムも自分で考えて作りましたからね。その分野に詳しい人に頼むよりも、僕は可能な限り自分でやった方が良いという考えです」

勤勉で且つ地に足の着いたこの自責の思考こそ、まさしく知の将。ボクシングジム会長職という道でなく他のセカンドキャリアを歩んでいたとしても、きっと成功したんじゃないかと思います。加えてボクシングというスポーツを愛する心。ボクシング愛が深い大橋会長。これからも更に大きく日本ボクシング界の発展に貢献されると思います!

以上、拳人のセカンドキャリア#10 「武と知の将 ボクシングジム会長 大橋秀行」でした。

【PS】この取材の翌日、大橋会長からいただいたメールをそのまま記載いたします。

「世界王者になると決めた小学6年の頃、部屋の天井に当時の世界王者達の写真をバッ~っと貼って、それを眺めながら《自分もこの中に入るんだ》と思いながら眠りについていたと話しましたよね。その時の天井を撮った写真、もう一枚あったので送ります」

秀行少年が天井に貼っていたボクシングマガジンの付録②

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