観戦記

君に勝ったから。長谷川穂積 vsフェルナンド・モンティエル The REAL 

4月30日はあの日。
長谷川穂積vsフェルナンド・モンティエル。

10年前の2010年4月30日。
日本武道館。

 

 

全ボクシングファン待望のビックマッチだった。プロテストで最初は不合格。プロ5戦目まで3勝2敗の平凡なボクサーは、努力で潜在能力を覚醒させ日本のエースとしてWBC世界バンタム級王座を10度防衛。そろそろビックマッチに挑みたい。本人を含む誰が望み、ついに叶えられたスペシャルカード。

 

4ラウンド残り10秒での”あの”瞬間。

リングサイドに飛び交う悲鳴。

言葉を失った夜。

 

10年が経った今、忘れたくても忘れられないあの日の記憶を辿ります。

 

決定の喜び

2010年の1月。この一戦が決定したというニュースが耳に入った。一度決まりかけて流れたという噂を耳にしていたので、半信半疑のところがある。本当に決まったのか?

 

各方面から情報を集めるとどうやら本当に決まったらしい。あとは本人が記者会見を開いたら信じよう。その記者会見は開かれ、それから試合の日まで専門誌はこの試合の話題を毎月取り上げた。

 

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日本ボクシング界の天敵だったウィラポンを破っての世界王座奪取。世界を獲ってから覚醒した感のある連続KO防衛。試合中の美しいコンビネーション。試合後の飾らないコメント。自分と同じ1980年生まれの長谷川はヒーローだった。

大好きな辰吉や西岡が勝てなかったウィラポンからベルトを奪い、防衛戦の度に強くなっていく長谷川穂積というボクサーはとても特別な存在に。彼への想いの言語化するとすれば「憧れ」が一番近い。

 

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日本ボクシング界にこんな選手がいたらいいのに・・を体現してくれるボクサーだった。モンティエル戦の時の長谷川と僕は30歳。30歳は人生の中でワリと色々な事を考える年齢だと思う。夢を追うにしろ、転職するにしろ何がやりたいかじゃなくて何が出来るかをリアルに問われる年齢。「モンティエルに勝って更なるビックマッチへ進みたい。ラスベガスへいきたい」そう話す長谷川を全霊で応援していた。勝ってラスベガスに行って欲しい。きっと行ける。長谷川穂積なら。 

先輩社員の元カレは長谷川似

当時、長谷川は「行列ができる法律相談所」をはじめ多くのメディアに出演して知名度をグングン上げていた。同じ会社の先輩社員の吉田美沙さんとは、長谷川の防衛戦がある度に試合の話で盛り上がる。吉田さんは3歳年上の先輩社員。

 

「長谷川、次は凄い人とやるんでしょ。Tokkyから見たらどう?勝てるの?」

「勝ちますね。過去最強の相手なのは間違いないですけど、長谷川はここでつまずく男じゃない。99%勝ちますよ!」

「なら観に行ってみようかな。まだチケット買える?昨日もニュースで見たし、会場に行きたくなってきた」

 

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「え~もっと早く言ってくださいよ!この試合はもう完売です」

 

僕は発売と同時に申し込んで席を押さえていたけど、この興行のチケット1万1千枚は試合前に綺麗に完売していた。

 

「じゃあテレビで応援するわ。

30日って金曜だよね」
「そう、金曜日!日テレで生中継です」

 

目を輝かせる吉田さん。彼女が他のスポーツ選手について話すのはあまり見た事がなく、なぜ長谷川に関心があるのかを聞いた時、こんな答えが返ってきた。

「なんかね。元カレに似てるんだよね~」
「顔がですか」
「顔というか、全部。雰囲気。」 

「元彼はどんな人だったんですか」

「こんな感じ」

 

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「うおっ。キング・カズ!そう言われればカズと長谷川、似てるかもしれませんね」

「そっくりって程じゃないけど、雰囲気が近いのよね」

 

今の彼氏もある程度、同じ系統なのだろうか。そして、今の彼氏はボクシングファンなのだろうか。吉田さんは女優の木村文乃に似た美人で、仕事もテキパキとこなし社内でも人気の人だった。

 

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「モンティエルって人も強いんでしょう。でも今の勢いなら長谷川よね。あ~楽しみ!」

 

心から試合を楽しみにしている様子の吉田さんを見て、早めに誘って席を押さえれば良かったと後悔したけどもう遅い。

初めての武道館。光の道。

2010年4月30日。

東京は晴れのち曇り。悪くない天気だった。最寄駅の地下鉄・九段下駅から日本武道館までの道が明るい。天気が良いという意味じゃなく「日本ボクシング界の明るい未来」そこに続く道だと思ったから。今日の勝利で更なる高みに到達する日本のエースの姿を想像しながら歩く、光の道は眩しい。

 

数々の名勝負が繰り広げられた日本武道館という試合会場を初めて体験するのも楽しみの一つだった。すり鉢状でどの角度からも見やすい作り。日本ボクシング史上最高級の戦い。事実上のWBC・WBO王座統一戦の場にもうすぐ立ち合えると思うと震える思いが込み上げる。

 

予想を聞かれたら長谷川が勝つと答えて来たけど、勿論怖さもある。間違いないのは今日、最高峰のリアルファイトが見れるという事。武道館の入り口が見えて興行タイトルの「The REAL」が視界に入る。

 

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そう。この試合こそThe REAL。

本物と本物の戦い。

花を添えた西岡利晃

会場に入るとリングサイド席はまだ埋まっておらず、先に2階席の後方側から埋まっていくのが分かる。武道館は想像していた通り、どの席からも見やすい。

 

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席が埋まっていくと同時に、ビックマッチ特有の高揚感が会場全体に充満していくのが心地良い。耳に入って来るファンの声を聞いてると全国各地から観戦に来ている人達がいる様子。北海道から飛行機で来た人。大阪から前日に東京入りして二日酔いの人。色々な声が入って来る。やはり全ボクシングファン待望の日なんだ。

 

W世界戦でセミファイナルを戦う西岡がリングにあがった。WBC世界Sバンタム級王座の4度目の防衛戦。挑戦者は隣りの晩ご飯、じゃなくてバンゴヤン。

 

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いくつかバンゴヤンの試合を動画でチェックして、今の西岡の敵ではないと思ってたけど・・序盤に何発か被弾してファンを心配させる西岡。それでも4回まででバンゴヤンの動きやパンチのパターンを見切っていた。

5回、得意のモンスターレフトが爆発!

 

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見事なTKO勝ちで4度目の防衛に成功。これで衝撃のジョニゴン戦を含め4連続KO防衛。この後リングに上がる長谷川はもちろん、西岡の今後にもビックマッチの期待が高まっている。素晴らしいKO防衛で武道館を”暖めて”くれた西岡。

 

いよいよ世紀の一戦が始まる。

最高のリングアナウンス

空席はひとつも見当たらない。
ぎっしり超満員の武道館。照明が暗転し大歓声が沸き上がる。このビックマッチに相応しいリングアナウンサー。ジミー・レノンJr。ラスベガスのビックマッチを数多くコールする世界のトップ・リングアナの1人で、帝拳絡みの世界戦では度々来日して日本のボクシングファンにその美声を聞かせてくれる。

 

決め台詞は「IT’S SHOWTIME!」

日本の興行では「ニッポンノ  ボクシングファンノ  ミナサマ  コンバンワ」というお決まりのサービスコールを冒頭で言ってくれていて、期待通りこの日もそう言ってくれた。

 

そして更に!

今も忘れられないこの日だけの一言。

 

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「オウジャ  タイ  オウジャ
セイキノ  イッセンニ   ヨウコソ!」

 

“事実上の統一戦”と言われたこの試合をゴング前に改めて”王者と王者の対決”であることをジミーが宣言!そのサービス精神と声の美しさに心の底から感動した。

生で聞いたアナウンスでこれ程鳥肌がたった事は他にない。最高の試合の前に最高のアナウンスだよ。ジミー、本当にありがとう!いつか直接伝えたい。

愛すべき観戦者達

この日、あの畑山vs坂本戦と同じ様に僕の周りにはキャラの立つ観戦者達が揃っていたので紹介したい。

 

●イケリーマン

とにかく声がデカい。
40代ぐらいで発する言葉もイケイケな感じ。
思ったことを全部、叫ぶ性格。

 

●さとみ風美女

イケリーマンの隣の席。
石原さとみ風の美女。
ほとんど喋らず静かに観戦。

 

●大学生カップル

大学生かどうか知らないけど、そんな雰囲気の10代後半っぽい若い男女。

 

メインのセレモニーが始まってから、大学生カップルは「やべ~緊張してきた~!やべ~」を連発。もしかしたら世界戦を見るのは初めてなのかもしれない。そうでなかったとしても今日の試合は特別だ。緊張と期待、高揚感を隠しきれなくなって当然だと思う。

 

長谷川の入場。イケリーマンが叫ぶ。

「頼むよ長谷川!今日勝ってベガスだぞ!」

 

リング下まで来たところで、恒例の山下会長の一言タイム。人生最大の勝負に挑む長谷川に、山下会長が伝えた言葉。

 

「まだ何も叶えてない頃、何もない公園で練習してきた。俺らには苦しいときを乗り越えた雑草魂がある」

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「挑戦者の気持ちでいこう。お母ちゃんのためにも絶対に尻餅つくわけにはいかへんぞ!よし、いこう」

 

モンティエルがコールされた時、イケリーマンがまた大声で叫んだ。

「WBCのベルト渡さんぞ!」

 

リングサイドを彩る著名人達も緊張の面持ち。

 

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坂田健史氏と片岡鶴太郎氏。

鶴太郎氏のオシャレなスカーフ。元協栄ジム繋がりという事で親交があるのか?時おり会話している様に見えた。坂田氏はデンカオセーンにまさかのKO負けで世界王座を失ってから再起して調整試合を重ねている頃。この日のリングをどういう心境で見つめていたんだろうか。 

 

そして「行列のできる~」で長谷川が度々、共演していたメンツ達。

 

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場内の巨大モニターに自分が映ったことに気づいていたのか、気づいてないのか分からないけど、誰もリングから目を反らそうとしない。

 

両雄がコーナーに分かれ、静寂を切り裂くゴングが鳴り響く。

 

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開始直後に軽くグローブタッチをした後、二人は試合前に想像していた通りの距離感で向かい合った。

 

極上の1ラウンド

右ジャブで距離を測る長谷川。
モンティエルも左ジャブで射程距離を掴もうとしている。

 

当てる気はない、威嚇の様な左フックを先に振ったのはモンティエル。当然の様に反応する長谷川。

 

試合全体を通して、ストレート系の長谷川とフック系のモンティエルという構図。長谷川は距離が詰まったりチャンスの時は右フックを決めるのが得意だけど、今日は当てるタイミングを掴んでいくまではストレート主体でリズムを掴もうとしている様に見える。

 

お互いにフェイントをかけ合う。

お互いに当たらない。

 

一流同志の洗練された”ご挨拶タイム”は息を飲む展開。ラウンド終了間際、ロープ際でバランス崩したモンティエルを長谷川が攻める。

 

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大歓声の中、ロープからサクッと脱出し両手をあげて「貰ってないよ」とアピールするモンティエル。 あっと言う間に3分が経過していた。

 

1ラウンド終了のゴングが鳴った途端、1万1千人が溜息を洩らし、歓声も入り混じる。緊迫感と期待感に溢れる目の離せない攻防からやっと1分間解き放たれる。初回終了後にこんな雰囲気になる世界戦はこれまでで初めて。

 

イケリーマンが叫ぶ。

「長谷川が取ったぞ!」

そうだろうか?軽く当てたパンチもあったけど、貰ったのもあった様に見えた。

 

大学生カップルの彼女が呟く。

「鳥肌が収まんないよ・・」

 

携帯にメール着信の振動が来た。

先輩社員の吉田さんからだ。

「やっぱ相手も強そうじゃ~ん。こんなのを現地なんて羨ましい!」

強いなんてもんじゃない。

これは間違いなく世界最高峰の戦い。

リングサイドではこの方もこの表情。

 

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熱心なボクシングファンとして知られる大和田常務・・いや香川照之氏も初回終了後のインターバルでこの顔。こんな真剣な表情、ドラマでも見た事ない。きっと彼も戦っているに違いない。初回の振り返りとこの後の試合展開を頭で組み立て、全てを見逃さずに歴史の証人になることを新たに決意したに違いない。

実力伯仲

2回。

前半はジャブの差し合いから始まる。

初回に続いてモンティエルは遠い距離から大きな右フックを振り、長谷川は見切ってかわす。スウェーやダッキングでかわすのではなく、貰わない位置に頭を下げて避ける。

 

両者とも派手なクリーンヒットは無い中でも、相手の体のどこかにパンチを当てる感覚を、長谷川が少しずつ掴んで来た様に見える。

 

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初回はジャブにだけ使っていた右を、この回の後半は強めの右ストレートと合わせて使い分けながら攻め始めた。中間距離で打った右ストレートがモンティエルのみぞおちの下当たりにヒット。

いいぞ。当たる。当たる。

モンティエルもやはり上手い。軽くでも貰ったら、すぐに左右のフックを3発4発と繰り出して守勢に回るシーンは作らない。

 

2ラウンドが終了。

イケリーマンが叫ぶ前に、大学生カップルの男が言った。「この回は取ったね」

確かにそう見えた。

 

3回。

長谷川がプレスをかけて相手をロープに詰めるシーン増えてきた。リング中央からストレート主体で前進。モンティエルは動きながら打開策を模索している様子。ラウンド中盤、モンティエルの右のフェイントからの左アッパーがとてつもない鋭さで飛んできたけど、長谷川は間一髪で避けた。これまで左フックを避ける時に長谷川が頭を下げて避けるのを見て、先を読んで右のフェイントを入れてからの左アッパー。それを打つモンティエルも、避ける長谷川も美しい。

 

ラウンド後半、両者の距離はこれまでよりも近くなって来ている。

ロープを背負った状態から脱出する時、必ず左フックを顔面に打ってくるモンティエルのパターンを読んで、長谷川はその左フックをかわしながら右フックをブチ込んだ。 

 

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被弾したモンティエルの顔から汗が飛び散る。よっしゃクリーンヒット!

イケリーマンがうるさい。

「オッケ~!穂積もういっちょ!」

 

長谷川はこの右を当てた直後もテンポ良く手数を出す。さすがに続けては当てさせてくれないけど、モンティエルがロープを背にして手を出さずにフットワークを使うシーンを見て、少し安心する自分がいた。おそらく打開策が見つからずに精神的に狼狽しているに違いない。相手のパンチは自分という標的を捉え始めているのに、自分はここから勝利へのストーリーを明確にイメージできてない。どうする?ここからどう戦う?そう迷いながら動いてるんじゃないか。

 

まともに貰ったらひとたまりもなさそうな、モンティエルの鋭い左アッパーを長谷川がかわしたところで3回終了。世界最高レベルの駆け引きは時間が経つのも異常に早い。

 

3ラウンドは明確に長谷川のはず。

インターバル中に山下会長の指示を聞く長谷川。その目は対角コーナーにいる相手を見据えている様に見える。

 

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今振り返れば、これがこの試合の最後のインターバル。この時どんな指示があって、どんな会話をしたのだろうか。 

運命の4ラウンド

4回。

開始から長谷川がプレスを強める。

3回から明らかにロープを背負わされる場面が増えているモンティエル。

 

長谷川は相手の左が出るタイミングや角度のパターンが分かっているかの様に反応し、対処しながらすぐさま右フック、右ストレートを打っていく。まだ当たってないけどこの回から左ストレートも出てきた。きっかけをつかめば一気にラッシュ出来そうな躍動感を長谷川から感じるけど、モンティエルからは感じない。

モンティエルの左をかわして、長谷川が追う。幾度となく起きた攻防を見たところで残り10秒の合図が鳴った。このラウンドも取れるな。

 

そう思った。

その瞬間だった。

 

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えっ・・・

メキシコ人の左フックが長谷川を貫いた。

・・・あ・・・

 

そこから約8秒間の間、日本のエースはサンドバッグの様に打たれる。

あまりにも一瞬の出来事だった。

 

何の声も出せない。

女性の悲鳴が聞こえる。すごい悲鳴。

 

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大学生カップルの彼女だろうか。

断末魔の叫びの様な、天井に届きそうな悲鳴。

 

イケリーマンが立ち上がって何か叫んでいる。何を言っているのか分からない。

 

最も恐れていたことが起きている。このシーンを見せられる恐怖と皆で戦っていたのに。行けそうだと少し安心して見始めた瞬間、それは突然やってきた。

 

子供の頃、ある夢をみた。煉瓦を綺麗に積み上げて作った家。もうすぐ完成するところで嵐に襲われる。その嵐は凄まじ過ぎて、どうすることもできず、バラバラになった煉瓦を見つめるしかなかった悲しい夢。

 

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その夢には続きがあったような気がする。

でも思い出せない。 

 

左フックを被弾してから試合終了までの8秒間は一瞬だったのに、意識のどこかでスローモーションを見ている感覚でもある。

 

レフェリーが長谷川を抱きかかえて・・

 

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モンティエルが両手をあげながら歓喜のポーズをとり、飛び跳ねながら自コーナーに飛び込んでいく。

レフェリーの右手の振り方が嫌だった。

何度も大きく空を仰ぐ右手。

 

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正しい判断をして、正しい仕事をしているだけなのに「そんな何度も右手を振るなよ。割って入った時点で意味はわかるよ」

レフェリーに怒りを向けても何の意味もないのに、あの瞬間にそんなことを思う自分がいた。

 

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僕らのヒーローは今、敗れた。

皆がその事実を喧騒の中で認識し始め、日本武道館が空洞の様に静かになる。

モンティエル陣営のお祭り騒ぎは収まらない。メキシコでもテレビ中継されてるらしいから今頃、母国のファンも大騒ぎだろう。

 

イケリーマンは無言で放心状態。
静かに天井を見上げている。

 

意外なことに、試合中は一言も発しなかった石原さとみ風の美女が凄い大声で叫んだ。

「あ~もう!!

WBCのベルト巻いてる!悔しい~!!」

言葉を選ばずに言えば、ヤンキー女子がガチ切れした時のようなドスの効いたよく通る声。

 

敗者となった日本のエースはリングを降りる準備を始めた。ここから先は勝利者インタビューの時間。勝者でない者はリングを降りる。

 

「穂積ありがとう!いい試合よ」そう言いながら、さとみ風美女は泣いていた。

 

コーナーポストの隣あたりに立ち、ファンに向かって両手を合わせ頭を下げる長谷川。謝る様な仕草。みんな、ごめんね。無念さを噛み締めながらそう言ってる様に見える。「穂積、あやまらないで!」さとみ風美女が立ち上がり、花道を退場する長谷川の近くに歩いて行った。

 

大学生カップル2人は直立不動。退場する長谷川が近くを通る時、動いたのは彼女の方だった。「近くに行けるよ!声かけに行こうよ」彼氏の方は放心状態で動けない。こんな時、やはり女性は強いなと思った。

 

僕はただ唖然として動けず、彼らのやりとりを見つめるしかできなかった。退場する長谷川の近くに行けそうな距離だと頭でわかっていても、体が動かない。

戦いを終えた日本のエースに感謝の叫びが降り注ぐ。

 

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「長谷川ありがとう!」

「またやれよ!長谷川」
「穂積、戻ってこい」「ええ試合やった」

 

この時の気持ちは、悲しかった。
ヒーロー長谷川穂積が一世一代の大舞台で敗者となった事実がただ、悲しかった。

 

巨大モニターに一瞬だけ、長谷川の家族の様子が映る。

 

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テレビでは美人の鬼嫁として紹介される泰子夫人。こんな姿を見るのは辛い。顔を伏せる泰子夫人とは対象的に、まだ幼い子供達は父親が去った後のリングをじっと見つめていた。

 

マイクを向けられたモンティエルは、おそらく長谷川を称える様なコメントをしていた様に思う。

 

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勝利者インタビューの内容は聞こえているはずなのに、耳の右から左に抜けていく感覚で全く入ってこなかった。

 

ただ、最後の言葉だけは覚えてる。

「ドウモ、アリガト!」

嬉しくなかった。

暗闇の帰り道

武道館を出て九段下駅までの帰り道。向かう時とは景色がまったく違う。昼から夜になっているので暗くなるのは当然だけど、道行く人々はまるでお葬式の帰りの様に押し黙って歩いていく。

 

東京のド真ん中にいるはずなのに、ふと前を見ると暗闇の山道を歩いていた。絶望の記憶。

 

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幼い頃、暗い山道で迷子になった時の景色を思い出した。武道館を出た観客達は無言でこの闇の山道を歩いていく。珍しい日だ。ボクシングの会場で昔みた悲しい夢を思い出したり、山で迷子になって泣いた日の事を思い出すなんて。

 

黙って歩いてた観客達がポツリポツリと小声で語りだした。

「ハイレベルな試合だったよ。観に来てよかった」「日本人が負けても年間最高試合になるパターンだよね」

エースが負けて悔しいのはきっと皆同じ。「これもボクシングだよ。真剣勝負。超一流同士が戦ってこうなる時もある」空を見上げると闇の中に差し込む光。

 

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今日起きたことを受け入れて、どうマインドセットすべきかはわかる。負けは仕方ない。結果は出たのだから受け入れる他ない。今日の試合で長谷川も多くを学んだはずなのだから、もし再起してくれたらファンはただ応援すればいい。この日を経験を糧に更に強い長谷川穂積が見れると信じて応援すればいいだけのこと。

 

それ以外のことを言ったり考えたりすることに何の意味もない。わかってる。わかってるけど、やり場のない怒りの感情が込み上げてくる。

これは何に対する怒りなんだろう。モンティエルに対する怒り?違う。長谷川個人に対する怒りもない。ここで勝てば一気に世界から注目され更なるビックマッチへ・・という試合で日本のエースが勝てなかったという”事実”に対しての怒り。

 

長谷川穂積をもってしても勝てないのか。じゃあどうしろって言うんだ。ちきしょう!というやさぐれた感情が止まらない。

 

先輩社員の吉田さんからメールが来た。

文章はなく、ただ4つの顔文字。

「(>_<)(>_<)(>_<)(>_<)」

 

返信する気になれなかったけど上司は友達じゃないので、そうもいかない。

「(>_<)」とだけ返信した。

 

帰宅して録画再生でフルラウンドを振り返る。現地とテレビでの印象の差はほとんどない。2人の実力は紙一重だったはず。何度やっても勝てない程の力の差があったのか?僕はそうは思わない。この試合の4ラウンドでの1発はなぜ貰ったのか。紙一重の差なら、長谷川が勝つパターンもあった。運悪くモンティエルが勝つパターンが現実になっただけで、どう転んでもおかしくない試合だったんじゃないか?自分を納得させたいけど明確な答えは出ない。

 

それにしても実質的に試合を決めた左フックは恐ろしいパンチ。この位置からこのタイミングでこんな左フックを打ってくる相手は・・長谷川がこれまで戦った世界戦の中には一人もいなかった。それは間違いない。

 

何度もスロー再生される、目を背けたくなる決着のシーン。

 

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ここで腕がロープに絡まってなければ・・
ここで踏ん張らずにダウンしていれば・・

 

それらを考えることは何の意味もないことを、モンティエルの動きを見返す度に痛感する。この一撃。効かせた左フックを当てたモンティエルを認めるしかない。

 

23時を回った頃、スポーツニュースでちょうどこの試合の映像が流れ始める。試合後の控室でインタビューに答える長谷川がアップで映っている。

 

今の心境は?と質問された長谷川。

 

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「もちろん、悔しさはあります。ただ・・」

 

ただ・・・

その続きの言葉を待っている間、カメラのシャッター音だけが鳴り響く。長谷川は懸命に次の言葉を絞り出そうとしたけど、喋れる状態ではなくなった。

しばらく続いた沈黙の後、

日本エースは静かに涙を流した。

 

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ウィラポンに勝って世界を獲った時は歓喜の涙はなく笑顔だったし、指名挑戦者を瞬殺で撃退した時も涙を見せる理由なんてなかった。

 

初めて見る、長谷川穂積の涙。

 

ファンとしても耐え難い悲しみ。

悔しさ。受け入れるしかない無念。

 

つらい、つらい2010年4月30日の夜だった。 

 

7年後の再会

モンティエル戦から6年半後。

2016年12月9日。

長谷川穂積は引退会見を開いた。

 

モンティエル戦の後も再起してファンを魅了し続けフェザー級、スーパーバンタム級でも世界タイトルを獲得。10度防衛したバンタム級と合わせて3階級を制覇。

 

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3階級目となるスーパーバンタム級を獲った試合を花道として、現役を引退することを発表。僕はこの会見を見ながら、テレビ越しに長谷川に感謝の気持ちを伝えSNSでも発信した。

感動をありがとうと。

 

最高の引き際だと思う。

そして、最高にカッコ良い。

 

この引退会見から2か月後の2017年2月、長谷川はメキシコに飛んだ。彼を追うドキュメンタリー番組の撮影の為であり、引退を発表した今、誇らしいキャリアの中で唯一の心残りである”勝てなかった宿敵”と再会する為に。

 

「気持ちも体も作って負けたのはモンティエルだけです。自分はなぜ負けたのか。その相手と話してみたい」

 

長谷川を乗せた車がモンティエルが住む街に到着。白い外壁の大きなモンティエル邸のチャイムを鳴らすと、本人が出迎えてくれた。7年ぶりに再会した瞬間の両雄の表情が良い。

 

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ごく自然に抱き合う2人がとても美しい。
このシーンに感動出来るのはボクシングファンの特権だと思う。

 

「さあ入って。チャンピオンの家だよ」そう言って長谷川と撮影陣を招き入れるモンティエル。広いリビングではモンティエルの家族が長谷川を待っていた。父、母、息子と奥さん。皆が優しい表情で日本から来た元対戦者を歓迎してくれている。

 

獲得したトロフィーやベルトが飾られたコレクションルームに案内される長谷川。そこで自分との試合の記事を発見。

 

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沢山の栄光の瞬間が飾られているこの部屋の中に、一番目立つ色で大きく飾られていた長谷川戦の記事。モンティエルのキャリアの中で最も誇らしい勝利として大切されている証拠。長谷川本人にとっては勿論、ファンにとってあの試合が特別だったように・・モンティエルの人生にとっても特別な試合だった事が、この飾り方でわかる。

 

そして長谷川はこれまで知らなかった、

ある事実を知る。

 

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モンティエルが小学生の時に書いたメモ書き。そこにはこう書かれていた。

 

「僕の夢はトーキョーでWBCチャンピオンになること。いつか叶える。必ず」

 

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その時のメモを、大切に財布に入れてずっと持ち歩いていたという。

 

ボクサーの誰もが世界チャンピオンを目指すと思う。メキシカンの彼が、幼い頃から「トーキョーで」と思ったのはなぜなのか。

 

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「日本が大好きだったから」

シンプルな理由を熱く語るモンティエル。大好きなトーキョー・ジャパンで世界王者になる。そこで緑のWBCベルトを獲る。そこまで具体的に書いて、離さずに持ち歩き夢を追ってきたと。

 

「気持ちも体も作って負けたのは、あの試合だけ」メキシコに向かう前にそう言っていた長谷川は、モンティエルのメモ書きのエピソードを聞いた時、素直な感想を口にした。

 

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「ぼくはぼくで強い思いで戦っていました。だけどモンティエルはモンティエルで・・うん。もしかしたらぼく以上の気持ちで戦っていたのかもしれませんね」

 

気持ちの強さは数値化できないし比較もできない。けど実際に戦った長谷川がそう思ったという事は、きっとそうなのかもしれない。

全てを込めた左フック

2人はリビングで思い出の試合を見始める。2010年4月30日の夜を一緒に振り返る時間。

 

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長谷川は試合の直後に一度見て以来、今まで見ていないらしい。最初から見るのは本当に久々。

 

勝った方のモンティエルは何度も何度も見ているとの事。最初はにこやかだった2人の表情、試合が始まると真剣そのもの。

 

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そして運命の4ラウンド。

 

全てを決めた、あの一撃。

そこからフィニッシュのシーンが訪れる。

 

レフェリーが試合を止める。

歓喜するモンティエル。

 

当時を思い出したのか、しばらく無言のままの長谷川。

 

そんな長谷川の肩に、モンティエルが寄り添ってボディタッチ。長谷川の膝をぽんと叩いた。

 

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とても微笑ましいシーンだった。

 

ここで長谷川は聞きたかった質問をぶつける。

「4回に効かせた左フック。普通はあんなパンチを打つ選手はいません。リスクがありますし、打つのに勇気がいります」

 

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初回から4回のあの瞬間までモンティエルも打たなかったし、長谷川も打たれたことがなかったパンチ。至近距離から相手が右を打つタイミングに被せて強打で振りぬく左フック。当たれば効かせられるけど、次の瞬間に自分が相手の右を喰って倒れる可能性もある。

 

逆に言えば、そんなパンチで勝負しなければならない程にモンティエルは追い詰められていたのだろうか。

 

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「それ程に、せっぱ詰まっていた?」

そう聞いた長谷川に、

モンティエルは率直に即答。

「そのとおり」

 

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「追い詰められた末、あのパンチを打った」

試合中も現地で感じていた通り、3回までの攻防でモンティエルが追い詰められていたのは事実だった。芯に貰ったパンチはないけど、軽くても当てる感覚を先に掴んで来ているのは明らかに長谷川。中間距離ではフックは当たらず、ストレート主体で攻められ後手に回る。接近しても普通に打ち合えば長谷川は強い。今のままの戦い方ではこの後もっとペースを掴まれてしまう。リスクを負って、効かせる一撃を決めるしかない。

 

そうかもしれない・・ずっとそう思ってた事を本人が認めてくれたので、どこかスッキリした気分になる自分がいる。

 

モンティエルは眩しい表情でこう言った。

「あの左フック。私はあのパンチに人生の全てを込めました」

 

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人生の全て。

そうサラっと言って笑うモンティエル。

 

トーキョー・ジャパンでWBCのベルトを巻くという幼い頃からの夢。

人生をかけて振り抜いた渾身の左はあの夜、日本のエースを打ち砕いた。

 

あの日。長谷川穂積はなぜ負けたのか。

僕もずっと心残りだった。「仕方ない」で切り替えるしかなかった。

 

この日の再会で、空白のままだったパズルが埋まった気がする。

 

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談笑しながらKOシーンを再現する2人。

「1 ・・ 2・ ・で、この左だ!」

 

7年ぶりに会ったのに、試合の決着シーンをこんなスムーズに再現できてしまう。そんなボクサーという人種がたまらなく好きだ。

 

長谷川の手にパンチを繰り出すモンティエル・ジュニア。幼少期の頃のモンティエルにそっくり。 

 

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心なしか、長谷川の表情が番組の冒頭よりも明るくなってる気がする。なぜ負けたのかを知りたかった旅。負けた相手と実際に再会して話してみて、きっと何か腑に落ちるものがあったんじゃないだろうか。

 

再会して話す長谷川穂積とフェルナンド・モンティエルを見ていると・・

4月30日。あの夜の武道館を思い出す。

 

さとみ風美女はこの番組を見ているだろうか。「あ~WBCのベルト巻いてる!悔しい!」あのドスの効いた叫び声が脳裏に蘇る。この長谷川をもってしても勝てないのか。なぜなんだ。自分と同じ疑問と悔しさを、きっと彼女も持っていた。

 

イケリーマンや大学生カップルは、これを見てるだろうか。ただの直感だけどイケリーマンとさとみは絶対見てる。あの夜の現地での興奮を思い出し、モンティエルの思いも知って熱い気持ちを蘇らせてるはず。 

 

この負けから再起した長谷川を、以前より熱心に応援していた吉田さんは見ているだろうか。結婚して2人目が生まれたという報告が少し前にあったので、今は子育てで忙しく過ごしてるかもしれない。だとしても、彼女にも絶対に見てほしい番組だ。いつか、必ず。

ライバルの言葉 

この再会企画の旅で、忘れられないシーンがある。立派で美しいモンティエル邸の外観。

 

どこまでがモンティエルの家か、わからないぐらい広い間口。

「うわ~。ええ家建てとるなぁ」

 

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「大きな家だね~!」

 

そう言う長谷川に、モンティエルは爽やかな笑顔でこう言った。

 

「君に勝ったから、建てられたんだ」

 

あの夜。

暗闇に包まれた深い絶望の記憶が、

少しだけ和らいだ。

 

 

 

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