進撃のボクヲタ

30代会社員のボクシング観戦記&その他の雑記

幻の夜 井上尚弥 vs ローマン・ゴンサレス ~One Night Dejavu~

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井上尚弥 vs ローマン・ゴンサレス。

 

 

2017年の年末に計画されながら、ロマゴンがシーサケットに敗れた事で実現しなかった幻の一戦。現在井上はバンタム級での王座統一を目指しており、その次は階級アップを想定。ロマゴンはスーパーフライ級での世界王座返り咲きを狙っている。

 

おそらくこの世界では2人の運命は交わらない。だけど…

 

"もうひとつの世界"ではこの世紀の一戦は実現していた。

 

2017年12月31日の埼玉スーパーアリーナ。

WBC・WBO世界スーパーフライ級王座統一戦。井上尚弥 vs ローマン・ゴンサレス。

 

幻の夜の長い観戦記。

 

INDEX ・発表会見での2人
・戦前の展開予想
・大混雑のスーパーアリーナ
・回想:尚弥と拓真
・井上尚弥vsローマン・ゴンサレス
・試合後の出来事
・ついに解禁「時空対決」

 

 

 

発表会見での2人

2017年10月12日。
水道橋の東京ドームホテル。

世紀の一戦の発表会見が行われた。

200人を超える報道陣が詰め掛け眩しいフラッシュが焚かれる中、最初にゴンサレスの
マネージャーがコメントを発する。

「準備していたはずのローマンのスーツがトラブルで用意出来ず、ジャージ姿のまま会見に臨む事をお許しください」

 

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続いて大橋会長がテンション高めにコメント。

「誰もが望むビックファイトがようやく実現したのですから、会見で着る服なんて何でもいいですよ。他の団体の王者は皆、尚弥から逃げて統一戦に応じてくれませんでした。そんな中、交渉開始時から前向きに応じてくれたロマゴン陣営に感謝しています。この2人が対決するのですから、歴史に残る素晴らしい試合になると思います」

 

そう言って大橋会長は井上にマイクを手渡した。井上尚弥は元々、会見で相手を挑発する様なタイプではない。

 

この日も普段通りのテンションでコメントしたが、"キャリア最大"というワードを力強い口調で何度も口にしているところに、この一戦への並々ならぬ決意がうかがえる。

 

「キャリア最大の試合が決まって心から嬉しいです。ロマゴンが新井田さんに勝った時、僕はまだ中学生でした。ずっと彼の活躍を見て来ましたし、八重樫さんとの試合が決まった時も本音は"自分がやりたい"と思ってたんです」

 

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「なかなかスケジュールが折り合わず、僕とロマゴンはやる運命じゃなかったのか・・と諦めかけたタイミングで今回、統一戦という最高の舞台で彼との試合が実現しました。間違いなくこれまでのキャリアで最大の相手。もちろん自信はあります」

 

続いてローマン・ゴンザレスがコメントし、通訳がその言葉を訳す。

「井上の事は彼がデビューした時から知っていました。八重樫との試合の後、彼と戦う計画があり私も乗り気でしたが色々な事情で実現しなかった。私も同じ気持ちですよ。ようやく対戦が実現しとても嬉しく思っています。素晴らしい試合になるでしょう。そして誰が勝者となるかは分かっています。勝者は私です」

 

穏やかだった井上の表情が変わる。

 

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「勝つのは私だと確信しています」通訳がそう言った瞬間。井上の顔から笑みは消えた。一瞬だけ、ロマゴンの顔をキリッと見つめてすぐ正面を向き直した。

 

そしてその場で、この試合を当日12月31日の19:00~21:00の2時間枠でフジテレビが独占生中継する事が発表された。SNS上ではファン達の歓喜のコメントが飛び交う。

 

「モンスターvsロマゴンきたぁああ」

「ついにやるのか!!!」

「流れるかと思ったけど決まったのね!」

「チケット取れるかな。玉アリは何席の仕様?」

 

僕はチケットの先行予約が始まると同時に、リングサイドAの抽選に申し込んだ。高額だけどこんな試合はそうそうあるものじゃない。当選を祈りつつ試合の日が近づいてくる。

戦前の展開予想

戦前の予想は7割以上が井上の勝利だった。

ロマゴンを倒しきれるかどうかは分からないけど、ポイントアウトに重点を置いた戦い方で判定を掴む事は難しくはないだろうというのが大方の予想。

スーパーフライに階級を上げてからのロマゴンは、パワーのアドバンテージを失い怪物性が薄れてきたと言われている。

シーサケットとの試合では判定勝ちしたものの、終盤はシーサケットのアタックを持て余し、クアドラス戦でもパンチの効かせ方がフライ級の時と比べると劣っている様に見えた。

 

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ただ、実はこの2試合のロマゴンのコンディションはベストとはまるで程遠い状態だったことも発覚していた。フィアンセとの重大なトラブルに加えて試合の10日前にインフルエンザを患い、ロマゴン陣営曰く「世界戦じゃなければ絶対に延期していた」という程の悪い状態。

体調管理もプロボクサーの仕事とはいえ、50戦近くも試合をしていれば時には不調が重なる時もあるのだろう。

 

今回、井上戦に向けての彼のモチベーションとコンディショニングに関しては「過去最高」と本人が発言しており、公開練習で見せた動きのキレには取材陣からも驚きの声が数多くあがっていた。

 

「過去最高」というキーワードは井上にも当てはまる。この試合に勝利した場合に得られる評価や栄光は過去最高のものになるだろうし、何より井上は強い相手と戦うことをモチベーションに日々の鍛錬に励んできた。試合に応じてくれるのは勝って当たり前のランカーばかりだった2017年。年末の夜についにローマン・ゴンサレスと戦える。一段と気持ちの入った井上の公開練習を見た取材陣も思わず唸った。

「ヤバい。」

 

無敗同士の世紀の一戦。各界の著名人も次々とコメントを発信。熱いボクシングファンとして知られる俳優の香川照之氏。

 

井上ロマゴン戦決定の一報を聞いた時から、試合展開を想像してニヤケが止まらないという香川氏は、スポーツ紙からの試合予想の質問に満面の笑みでこう答えている。

 

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「いつの時代も無敗の実力者同士の激突は鳥肌モノです。カードの決定から当日までのワクワクもまた醍醐味。それが王者同士の統一戦ならなおさらです。オスカー・デラ・ホーヤvsフェリックス・トリニダード戦が決定したと聞いた時の様な興奮!いやそれ以上かもしれません。なぜならその舞台に上がる役者は日本の至宝である井上選手と、長らく軽量級最強の名を欲しいままにしてきたロマゴンなのですから。私は僅かに井上選手が有利とみますが、ロマゴンのスーパーフライ級でのポテンシャルはまだ未知数とも考えています。井上尚弥という才能の塊が、今はまだ眠っている"この階級での真のロマゴン"を覚醒させる展開は大いにあり得ます。この試合はあっけなく早い回で決まる事はないでしょう。両者が持ち味を発揮する日本ボクシング史に残る名勝負になりそうです」

 

楽しみで仕方ない感が溢れ出る様な香川氏のコメントとは対照的に、驚くほど結論をスパっと公言した男がいる。

 

八重樫東。

井上とロマゴンを語るうえで一番に聞きたいのはこの人のコメントだろう。八重樫は2014年9月にロマゴンと激闘を演じており、井上の事も中学生の頃から知っていてジムの先輩としてスパーリング相手も務めてきた。おそらくこの両雄と最も多く手合わせしたボクサーは彼に違いない。試合の予想を聞かれた八重樫はこう断言した。

 

「尚弥が勝ちますよ」

 

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「ロマゴンはまだスーパーフライ級でベストパフォーマンスを出していないと言われていますが…僕に言わせれば尚弥も同じです。ナルバエス戦で右拳を痛めて以降、思い切り右を打てない状態での試合が続きました。拳を傷めないテーピングや練習方法を試行錯誤して今回がやっとナチュラルに打ち込める状態です。ロマゴンが尚弥とやって一番驚くのはパンチ力。尚弥もロマゴンの強打を想定してハードパンチャーとスパーを重ねてますが、相手のパンチ力に驚くのはロマゴンの方だと踏んでいます。長いラウンドまでいくだろうって予想が多いですけど、僕は尚弥が中盤までに倒しちゃうと思いますね」

 

どちらの選手とも手合わせした彼の言葉には説得力がある。メディア各社は八重樫のこのコメントを取り上げ「八重樫言い切る。尚弥がKOします」の記事が拡散されていった。

 

試合の日が近づくにつれ、メディアでの扱いもより大きくなり、SNS上でもボクシングファン達の話題はこの試合のことで持ち切りだった。

大混雑のスーパーアリーナ

17:00開場で17:30に第1試合開始だったので、現地でのグッズ購入や1試合目の観戦には拘らず少し落ち着いた頃に入ろうか…そんな考えは甘かった。

 

開場時間からしばらく経っても一向に入場の列が進まない。とんでもねぇなこりゃ。

 

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入口の近くで新井田豊を見かけた。

9年前の2008年9月、ロマゴンと果敢に打ち合って敗れた新井田。彼は今日の一戦をどんな思いで見つめるのだろうか。

 

チケットを切って会場INしてからも長い通路は大混雑。廊下に飾られる花がこんなに多い世界戦も記憶にない。

 

メディアの扱いや注目度は勿論、何もかもが規格外のスペシャルイベント。人の波を掻き分けて廊下を進み続ける。
 

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スペシャルマッチ仕様のフジボクシングのセット。眩しいライトが光輝く。リングへの角度もほぼ正面で観やすい。

 

パッと見は男性が多い様に見えて、よく見ると女性ファンも随分多い。体感値だけど、前の試合より更に増えたんじゃないだろうか。

回想:尚弥と拓真

試合まで1ヶ月を切ったある日のこと。

2人はいつもの様にジムで汗を流していた。

 

試合は1ヶ月先なのにジムの外にはマスコミ関係者が大勢集まっている。予め公開練習と取材を受ける日は決めて伝えてあるのに、その予定じゃない日にここまで多くの人が集まったのは初めて。

 

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拓真は予想外に多い取材陣の視線が気になったが、頭を切り替えて練習メニューをこなした。

 

一方、尚弥はこの状況が少し嬉しくもあった。
エルナンデス戦、ナルバエス戦。
徐々に世間の自分に対する注目度が上がっていくのを感じていたが、さすがにロマゴンが相手でしかも統一戦となるとこれまでとは段違い。練習に集中したいと思う反面、注目度の高まりを実感できるのは嬉しい。

 

練習終わりの帰り道。

二人で歩いた。

 

12月の夕方。外が暗くなり始めた頃。

拓真は兄と歩くこの帰り道が好きだった。

 

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兄の本心を聞いてみた。

「尚、正直どう思ってる。不安はある?」

 

尚弥はにこやかに答える。

「無くはないね。ロマゴンのスーパーフライでの苦戦は不運の重なりで、万全な時の強さは想像を上回るかもしれない。その時はその状況で戦うだけ。ハッキリ言って95%勝てる自信はある」

 

キャリア最大の戦いへ挑む兄の背中。
この背中をずっと追いかけてきた。

 

誇らしく思うと共に、追いつきたい気持ちも燃え上がる。その兄が振り返り、聞いてきた。

 

「拓はどう思う。俺はロマゴンに勝てるか?」

「勝てるよ。尚が勝つに決まってる」

 

拓真は兄の勝利を信じていた。PFPの常連であるローマン・ゴンサレスとの一戦は尚弥だけじゃなく、井上家の全員にとって大きなターニングポイントになる。去年までは家族会議でもロマゴン戦の予想は五分五分だった。

 

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ロバート山本のプライベートラウンドでロマゴンに勝てる?と聞かれたときも「五分五分です」そう言っていたのに、試合が決まってからは自信満々のコメントしかしていない。確かにこの1年での尚弥の進化は目覚しいものがある。95%勝てるはきっと「今の本音」だろう。

 

この試合に勝てば、自分との差はもっと広がるかもしれない。
それでも追いかける。そしていつか・・ 

 

拓真は試合後に大歓声の中で勝者コールを受ける兄の姿を思い描いていた。 

 

 

井上尚弥 vs ローマン・ゴンサレス

満員札止めの埼玉スーパーアリーナ。


輝かしいスポットライトに照らされたリング。

世紀の一戦のゴングが鳴り響いた。

 

初回。

 

ゴンサレスが得意のプレスをかけて出て来るというのが大方の予想だったが、意外な程に慎重な立ち上がり。前進しつつ井上の出方を伺っている。

 

30秒が経過した頃、井上から仕掛けた。

右フックがゴンサレスの左頬を霞める。続けて左アッパーを狙ったが空振り。

その直後、ゴンサレスの左フックが飛んできた。

 

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間一髪でかわす井上。

このフックの風圧にアリーナがどよめく。

 

スーパーフライに上げてからはナルバエス戦、その後の防衛戦も含めて1発で相手を失神させる様な強打者はいなかった。このフックを直撃で貰えば、井上でも倒れるだろう。

 

これがローマン・ゴンサレス・・

手に汗握る攻防。

 

前半でゴンサレスの様子見は終わった様で、初回後半からは前進して左右を振ってきた。井上が足を使って相手の突進をいなす展開。

井上のジャブをパーリングではじきながら前進し続けるゴンサレス。

 

残り10秒。

このままだとポイントはゴンサレスかな。そう思った瞬間、井上が足を止めて左右5連打のコンビネーションを放ちそのうち2発はボディーにクリーンヒットした。

そのまま回転を速めた井上の左フック!

 

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ゴンサレスのガードの合間にねじ込んだところで初回終了。

 

アリーナ全体を大歓声と溜息が交差する。
好試合になりそうとしか思えない展開。

 

隣の友人が呟く。

「ヤバ過ぎる。予想は有利だったけどこれ・・どうなるかは分からんね」

「確かに・・」

奇跡的にゲットできたリングサイドの神席。

 

インターバル中のセコンドの声も良く聞こえてくる。真吾トレーナーの声が響く。

 

「どう?パンチある?」
「あるけど想像通り。想像以上じゃない」

 

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「もっと出て来るよ。ポイントアウトできそう?」
「やってみる。序盤は下がらせるの難しそうかなぁ」

 

2回から5回。
ロマゴンが更にプレスを強めてくる中で井上が足を使って動き、要所要所で迫力満点の打ち合いが巻き起こる展開。

 

徐々に井上のボディーへのクリーンヒットが目立つ様になってきた。あのナルバエスの戦意をえぐり取った左ボディー。利き腕の右ボディーも突き刺さる。

 

逆にゴンサレスのパンチの精度は5回からほんの少し落ちてきている様に見える。5回終盤、流れを変えたいゴンサレスの渾身の左ボディーが井上の右脇腹に着弾。ゴンサレスがラッシュを仕掛けたところで5回が終了。

 

テレビ中継のアナウンサーがゲスト解説者に話を振るのが聞こえる。井上の戦況を聞かれた村田諒太のコメント。

 

「役者が揃うと素晴らしい試合になりますね。ローマンは少し焦ってきてる気もしますが、パンチの打撃音はやはりこれまでの相手とは段違い。尚弥の戦い方はこれでいいと思います」

 

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香川照之は興奮を隠せない。

「1秒も目が離せません!世界王者同士の統一戦に相応しい試合ですよ。村田さんもおっしゃる様にゴンサレスのパンチはワイルドになってきてる気がしますが迫力満点です。井上君はもっとポイントアウトに重点を置くスタイルで前半戦を戦うと予想をしてましたが、打ち合う時間がけっこう長い。もう一度言います。1秒も目を離してはいけません。テレビをご覧の皆さん、瞬き禁止です!」

 

そして6回、試合が動く。

 

ラウンド開始直後から井上が攻めた。
足を止めてコンビネーションを放つ井上にゴンサレスも応戦。山場を作ってやるという意思が伝わる。前半は空を切る事が多かった井上の左アッパーがついに炸裂。

 

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被弾して後ずさりするゴンサレス。

この試合で初めて見せた"後退"

 

勝負師としての井上の勘は鋭い。

アクセントを付けた攻撃で一気にゴンサレスをロープ際まで追い詰めた。

 

アリーナ全体が大歓声に包まれ、耳を劈くナオヤコールが始まる。


ナオヤ!ナオヤ!ナオヤ!

 

ゴンサレスも打ち返す。

勝負所を嗅ぎ分けた井上の連打が、一段と回転力を増していく。

 

6回、2分過ぎ。

打ち合いの中での井上の右フック。

カウンターとなってゴンサレスを貫通した。

 

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ゴンサレス、ダウン!

熱狂が渦巻く。

 

レフェリーがカウントを数える間、井上はコーナーの真吾トレーナーと大橋会長を見た。目が合った瞬間、コクリと頷く大橋会長。

真吾トレーナーの目も同じ事を言ってる。

「行け。GOだ」

 

ゴンサレスは立ちあがったがダメージは深そう。試合再開。真吾トレーナーの声が響く。

 

「尚!あと1分あるよ!」

 

1分は試合を決めるには十分な時間だが、攻めあぐねた場合はスタミナ浪費の時間になってしまう。再開後、冷静にボディーから攻める井上。

 

打ち返してくるゴンサレスの左右にはまだ力が宿っている。

 

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攻め急いで被弾するリスクは避けたい。

多少の被弾を気にせずムチャ追いが出来る様な相手ではない。

 

ガード越しに受けるパンチの威力は、間違いなくキャリア最大の脅威。足を止めた打ち合いはせずに、体の位置を変えながら冷静に攻める中で6回が終了。

 

インターバル中、真吾トレーナーは集中というワードを連呼した。

「いいよ尚、見えてる!相手まだ1発狙ってるからね。集中集中!」

 

続く7回。

 

ゴンサレスから出てきた。

半ば強引に井上をロープに詰めて10発の連打。井上はダッキングとブロックで全てに対応した後、相手の手数を超える10発以上の連打で応戦。

 

リングサイドに真っ赤な鮮血が飛び散った。
どっちの血だろう?

 

打ち合いの中でゴンサレスが右目の上をカット。超スピードの激しいアクションの最中なので、バッティングが起きたのかパンチで切れたのかが分からないけど、どちらにしろゴンサレスの戦況は苦しそう。

 

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効かされたダウンと追撃のダメージの蓄積に加えて、視界の悪化というアクシデントも加わった。険しい表情で前進するゴンサレス。

 

井上は相手のパンチを見切ってきてる。

動きに余裕が出てきた。


ゴンサレスのコンビネーションのパターンを読んで、打ち合いの中でカウンターを決めるシーンが増えてきた。デビュー戦で見せた「ドネア・ステップ」も披露するぐらいに完全に自分のリズム。

 

友人が呟く。

「これもう勝てるっしょ。焦りさえしなけりゃ、負けはない」

 

真吾トレーナーが叫んだ。

「尚!余裕は持つなよ!」

 

心の隙に蓋をしたい父の叫びが響く中、完全な井上ペースで7回が終了。

 

場内に流れる富樫アナからのアナウンス。

「第7ラウンド。ローマン・ゴンサレス選手は右目の上をカットいたしました。このカットは井上選手の有効打によるものです」

 

序盤は緊張感が漂った会場の雰囲気も、井上が勝てるという空気感に変わってきている。

 

コーナーに戻った井上に父は「余裕を持つな」と伝え続けた。こういう展開になった時の一番の敵は"心の隙"

 

これまではインターバル中ずっと井上コーナーの様子を見てきたけど、初めてゴンサレスのコーナーを見てみた。

 

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苦しそうなローマン・ゴンサレス。

トレーナーはゴンサレスの肩を抱いて、諭す様に何かを言っている。彼にとってもキャリア最大のビックマッチ。その試合で厳しいピンチの状態が続く展開。こういう時、セコンドは選手にどんな言葉をかけるんだろうか。

 

8回。

 

まさかの展開にアリーナに悲鳴があがる。

 

ラウンド開始から左フックを強振する井上。ガード越しにゴンサレスの体が揺れる。

右サイドに動いて追撃しようとした瞬間だった。

 

ゴンサレスの右が井上の顔面を打ち抜いた。

 

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"一瞬の隙"があったから貰ったのか?

そうは思えない。油断はしてなかった。

 

セコンドに何と言われたかは分からないが、ゴンサレスは執念でこの右を打ち込んで来た。被弾したモンスターの腰が落ちる。

 

友人が飛び上がる。
「効いちまったか!?」

 

すぐには臨戦態勢を取れない井上。連打でたたみ掛けるゴンサレス。歓声と悲鳴が交差する中、リングサイドから井上の目が見えた。ガードの奥のその目はしっかりと見開かれ、相手の隙を伺っている。大丈夫だ。

 

「貰ったけど、深刻なダメージはなさそう」

ピンチかと思ったがクリンチで時間を稼ぐ事はせずダッキング、フットワークを駆使してゴンサレスの猛攻を凌いだ後は井上の時間になった。

 

右アッパーでゴンサレスの顎を突き上げた後、左フックもガードの隙間を縫って綺麗に入った。止まっていたゴンサレスの血が流れだす。

 

ニカラグア人がフラフラになりながらも、強引に井上をロープに詰めてラッシュしたところで8回が終了。

 

友人の素直な感想が漏れる。

「凄い試合。思っていたより遥かに凄い」

 

そして運命の9回。

 

開始から井上の覚悟が伝わる。

体の躍動が「決めにいく」という言葉を発している様だった。

 

右アッパーから左ボディーの黄金コンビが炸裂。ゴンサレスの動きが止まる。

 

辰吉vsシリモンコン戦を思い出す様な、クライマックスを演出する渾身の左ボディー。

ゴンサレスはシリモンコンの様には倒れなかった。相打ち覚悟で右を放ってきた。

 

その瞬間。

 

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モンスターの右が最初のダウンより更に深い角度でゴンサレスを打ち抜いた。

 

入った瞬間に、フィニッシュと分かる右。

 

雷に打たれたように沈んでいくゴンサレス。

 

着弾からマットに倒れるまでの時間は1秒もないのに”その瞬間" はスローモーションに見えた。

 

ゆっくりとマットに落ちていったゴンサレス。

 

意識はあるだろうか。目は閉じていない。

立つのは無理だろう。もし立ったとしても応戦出来るはずはない。

 

井上は倒れたゴンサレスを見つめている。

レフェリーはすぐに両手を交差した。

 

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試合終了。

 

10カウント数える必要なく、試合は終わった。

 

ゴンサレスは起き上がれない。完全KOの決着。誰も座っていられなかった。狂喜乱舞。

 

両陣営がリングになだれ込み混沌とする中、真吾トレーナーはすぐにロマゴンのところへ行った。そして井上も、試合終了の瞬間にロマゴンの元にかけ寄った。大橋会長もロマゴンに声をかけている。

 

静かに上半身を起こした敗者を、井上と両陣営が支えながらコーナーまで歩く。

 

勝利者インタビューでの井上のコメントは素直な本音に聞こえた。「一番強かったです。まともに貰った右・・執念で打ち込んできました。もしアレを序盤に貰っていたら危なかった」

 

ロマゴンが勝者のところに来て、井上の手をあげて称えた。試合中より更に大きく激しい拍手の嵐が巻き起こる。まるで歓声の竜巻。

 

「ロマゴンありがとう!」「強かった!」

 

期待通りのパフォーマンスを見せて試合の序盤を作り、ダウンと目のカットの流血という苦境から復活の右を決めてモンスターの腰を折った。敗者の健闘が光る名勝負。

 

コメントを求められた時、香川照之は泣いていた。「これぞボクシングという試合です。井上君が勝つと思っていたし井上君を応援してました。でもあそこであの右をブチ込むロマゴンに熱いモノを感じられずにはいられません。このフィニッシュシーンは今後何十年、いや何百年と語り継がれるKOシーンですよ。倒した瞬間の熱狂。ロマゴンが起き上がってこないときの心の痛み。起き上がってくれた時の喜び。勝者の前であえて敗者の話をしたい。ローマン・ゴンサレス。ありがとう」流れる涙を拭きながら熱い思いを語る香川氏。


きっとこの試合を見た誰もがそう思ったに違いない。SNS上はボクシングを初めて見た様な視聴者からも感動のコメントで沸騰。

 

「ロマゴン・・立てなかったらどうしようと思ったよ」
「称え合う2人が美し過ぎて、泣けてくる・・」


そして惜しみない勝者への称賛。

 

「モンスター強過ぎた!」
「更にいろいろなモノを証明してくれた」

「日本スポーツ界の宝!ありがとう尚弥」

 

アリーナを出て駅へ向かう道が、暖かく感じた。大晦日の夜なんて凍える寒さのはずなのに、2万人が感動と喜びを口々に話しながら歩く新都心駅までの道は、まるで季節が違うように熱を帯びていた。 

試合後の出来事

この試合は当然のごとく2017年度の年間最高試合に選ばれた。選考前からMVPは井上だろうと予想されていたが、実際に起きた事は予想を遥かに超えていた。

 

◆国内
・報知プロスポーツ大賞
・年間最優秀選手(MVP)
・年間最高試合賞

◆海外
・米スポーツ専門局「ESPN」年間最高試合賞
・米専門誌「ザ・リング」年間最高試合賞
・英専門誌「ボクシングニュース」年間最高試合賞

 

この試合に纏わるドキュメント番組が多数放送される中、ファンの中で特に大きな話題になったのがこの番組。試合後の年明けにフジテレビが放送した「2017年のフジボクシングを振り返る」の中でこの一戦を振り返った時の、中村アンのコメントが素晴らしかった。

 

井上ロマゴン戦の巨大パネルをバックに、試合後に彼女の周りで起きた"変化"について話してくれた。

 

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「試合の後、普段ボクシングを見ない女優やモデル仲間から沢山メールが来たんです。ボクシングって凄いね!観戦してみたいからアンちゃん、チケット回してくれる?って笑  私はコメンテーターをやらせて貰ってるだけでそんな力ありませんよって返すんですけどね^^」

ここまで話した後、彼女は真剣な眼差しでこう続けた。

 

「コネでチケットを渡すのではなく素晴らしさを伝える事で、お金を払って観戦したいと思うファンを増やしたい。"ボクシングの為に私が出来る事" それに対して真摯に向き合っていこうと決めました。ずっとそう思ってたけど色々な戸惑いがあったんです。でもあの日…起き上がったロマゴンを井上さんが支えに行った時、涙が溢れて止まりませんでした。言葉足らずかもしれませんが、ボクシングというスポーツの魅力を私なりに伝えたい」

 

このコメントをフジテレビはノーカットで放送し、SNS上は賛美の声で溢れていた。

 

僕も正直言って感動した。なぜなら勇気がいるコメントだと思ったから。両雄が演じたスーパーファイトと試合後のドラマが、迷っていた彼女の背中を後押ししたに違いない。

 

一方、ボクシング界のレジェンドがこの一戦について話すシーンも報道された。エディオンアリーナ大阪での年明け最初の興行。知り合いの応援に行っていた井上に伝説の男が声をかける。

 

「尚弥くんか?お~い。尚弥くん。」

説明不要のカリスマ。辰吉丈一郎。

 

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「派手な試合したねぇ。凄かったわ」

「ありがとうございます!」

「次はバンタムにくるん?」

「はい。春にバンタム級王者の誰かに挑戦できるかもしれません」

「そうか。バンタムにくるんか」

 

自分の階級に上がってくる若き才能の塊を、辰吉はどう思ったのだろうか。引退はしておらず、まだ現役を貫き鍛錬を続けている辰吉。

居合わせた報道陣の一人が、レジェンドを相手にまさかの質問をぶつけた。

 

「辰吉さん!井上さんと辰吉さんが戦ったらどうなりますか?」

 

なんて事を聞くんだ・・・

そう思いながらも全員が辰吉の反応に注目する。井上は苦笑いするしかない。

レジェンドは穏やかにこう言った。

 

「そりゃあ、ドリームマッチやな」

笑いが起こった。

そしてレジェンドとモンスターは熱い握手を交わし、井上は憧れの辰吉丈一郎にこう言った。

 

「バンタム級の世界戦決まったら、良かったら観に来てください!」

「おおきに。がんばりや。」

ついに解禁「時空対決」

3年後の2020年。

 

今あなたがいるこの世界では、井上尚弥はバンタム級の王座統一路線を突き進んでいる。マクドネルからベルトを奪い、WBSSでパヤノ、ロドリゲス、ドネアに勝利。

残りのベルトを集めるべく次の試合の交渉を進めている。

 

・・・もうひとつの世界では?

 

井上は同じようにWBSSを制覇した。そしてこの世界では、ある大きな革命が起きようとしていた。タイムマシーンの発明により「時空を超えた対決」が可能になった。

 

現在、過去、未来を自由に行き来出来る様になり、ボクシング界において長らく夢の対決とされてきた「違う時代のレジェンド同士の対戦」が実現出来る。

 

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勝てばPFPなんてもんじゃない。"世界最強"どころか"歴代最強"の称号さえ夢じゃない。空前絶後のスーパーマッチが叶う時代がついに到来してしまった。

現役選手はもちろん、業界関係者やファンの話題は"時空対決"で持ちきり。

 

2020年1月。

いつもの様にジムで汗を流す井上兄弟に真吾トレーナーが呼びかける。

 

「尚!拓!すぐ大橋会長のところに行って」

「どうしたの?」

「大事な話だって。きっと時空対決の事だ」

 

3人がミーティングルームに入ると、大橋会長は誰かと電話をしていた。ほどなく会話は終わった様で電話を切り、向かい合ってソファーに座る。

 

「時空対決エージェントを経由して、ある選手から尚弥に対戦オファーが来た。返事は一旦待って貰ってる。」

 

全員が固唾を飲んでその続きを聞いた。

 

「バンタムで一時代を築いた、誰もが知る名王者。"全盛期の彼"からのオファーだよ」

 

大橋会長がその名を口にした瞬間、拓真は心臓が止まるかと思った。

 

マジかよ・・・

いくらなんでもヤバ過ぎる。

隣を見ると、父と兄は喜びに満ちた表情。

 

「全盛期の彼と戦えるんですか!?」

尚弥の声のトーンは1オクターブ上がっていた。

 

「こちらがOKすれば決まる。やるか?」

 

 真吾トレーナーが口を開く。

「尚、きっと俺の気持ちも同じだよ。せーの、で会長に返事をしよう!いいか?」

 

尚弥と真吾トレーナーは同時に叫んだ。

 

「やります!!」