観戦記

21歳の怪物。ナルバエスを粉砕 LONGING ~始まりの夜~

今日、12月30日はあの日。
井上尚弥vsナルバエスの日。

 

5年前の2014年12月30日。
東京体育館。

 

フライ級をすっ飛ばして、ライトフライ級からスーパーフライ級に一気に2階級アップ。

まるで火山が噴火した様に、モンスターの強打が爆発した。勝機はあると思ってはいたものの、想像を遥かに超える圧勝劇。

 

アマ・プロ通して159戦でダウン経験なし。通算27回の世界タイトル防衛の偉業を成し遂げて来たベテラン王者を、21歳の井上はまるで赤子扱いにしてみせた。

 

全て違うパンチで4度倒して2回KO勝ち。

「日本にイノウエというヤバい奴がいる」

“東京体育館の悪夢”を払拭するどころか、全世界に名を売るセンセーショナルなKO。

 

歓喜と興奮に揺れたあの夜の記憶を振り返ります。

 

マッチメイクの難しさと運

当時、ライトフライ級はかなり減量が厳しく階級を上げるという噂は聞いていたものの、1階級上げてフライ級の王座を狙うと考えていたので、2階級アップ&しかも相手はナルバエスというまさかのチャレンジには驚いた。

 

今年発売された大橋会長の著書
「最強モンスター井上尚弥はこうして作った」
井上尚弥の著書
「勝ちスイッチ」

このどちらにも、このチャンレンジマッチが決まるまでの経緯がとても詳しく描かれている。

 

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大橋会長が当初、交渉を進めていたのはフライ級王者のファン・カルロス・レべコだった。ところがレべコの負傷や試合のスケジュールの都合、ファイトマネー等なかなか全ての条件が折り合わない。

 

それでもなんとか2014年中に試合を実現させようと粘り強く交渉を続けていた矢先、レべコが11月に別の相手と防衛戦を行う事が決定し、交渉は本格的に頓挫。

 

くそっ。何とかならないのか…
その時、運命の歯車が動く。

 

レべコのマネージャーは同じアルゼンチンの世界王者であるナルバエスのマネジメントも担当しており、その彼から打診の連絡。

 

「12月。ナルバエスなら行けるけど?」

 

向こうの考えとしては短期間でレべコとナルバエスを上手く使ってビジネス的にも美味しいし、最近まで2階級下で戦っていた21歳の若造。楽に勝てるという思惑もあっただろう。

 

大橋会長は迷った。

いきなりのスーパーフライ級。

ナルバエスは強敵。

 

井上親子にこの事を伝えたところ、父の真吾さんも尚弥本人も即答。「やります!」

 

もしレべコとやっていても井上が負ける事は無かったと思うけど、ナルバエス戦のインパクトで一気に世界中に”日本のモンスター”の存在が知れ渡った事を思うと、運命はどこでどう転ぶかわからない。

試合前の予想

当時39歳のオマール・ナルバエスは、アマ・プロ通した159戦で1度もダウンした事がなく、スーパーフライ級以下では14年間無敗。

 

でも僕は井上が不利だとは思わなかった。厳しい減量苦の影響で、ライトフライ級でのリングパフォーマンスは練習やスパーで普段見せる力よりも数段封じ込められている…
そんな話をよく耳にしてたし、同じジムの八重樫東も「減量苦が無ければ、尚弥はあんなもんじゃない」と試合の度にコメントしている。

 

階級アップが”壁”になる試合は幾度と見て来たけど、本人達がやれると即答する程にスーパーフライ級での動きに自信があるのなら、期待は持てるはず。ナルバエスは強いけどワンパンチで試合を終わらせる強打者ではない。テク二シャンの部類に入る王者。

 

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序盤に良いパンチを貰わなければ、井上の勢いが勝って試合をリードしていける展開は想像できた。僕は井上の大差3-0判定勝ちを予想していたけど、いきなり2階級アップの階級の壁とナルバエスの豊富なキャリアを不安視する声も勿論あった。

 

だからこそ、試合が楽しみで仕方ない。

悪夢の東京体育館

東京体育館という試合会場は、日本人選手にとってめちゃくちゃ縁起が悪い場所だった。

 

鬼塚勝也がタノムサクに判定勝ちした事はあったけど、それ以外は負けている。

 

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ざっと思い出すだけでも、これだけの試合で負けてきてる。

 

大橋秀行 vs チャナ・ポー・パオイン
渡辺雄二 vs ヘナロ・エルナンデス
葛西裕一 vs ウィルフレド・バスケス
三谷大和 vs 崔龍洙

 

全て調べきったワケじゃないけど、東京体育館と聞いて良い思い出があるボクシングファンはきっと皆無だろう。

 

個人的には葛西vsバスケスの試合が印象的。帝拳期待の正統派ボクサー、葛西の世界初挑戦。バスケスはこの試合の直近の防衛戦で大苦戦する姿を見せており、葛西の王座奪取に熱い期待が集まった一戦だった。

 

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まさか・・・悪夢の初回KO負け。中継したWOWOWエキサイトマッチの実況担当、高柳アナの悲痛な絶叫。「葛西裕一、世界は遠かったぁああ」は絶望の記憶として今も脳裏に刻まれてる。

 

だけど、いつまでもこの会場を縁起の悪いままにしておくワケにはいかない。

誰かが清めてくれないと。

 

井上尚弥ならきっとやってくれるはず。
ナルバエスという強敵が相手でも。

 

試合が近づくにつれ、その期待は高まっていた。

回想:モンスターとドネア①

2014年10月。

年末にナルバエスへ挑戦する事が正式に決まり、ジムで汗を流す井上の元に強力な援軍が現れた。この当時で既に5階級を制覇しているレジェンド。ノニト・ドネア。

 

ドネアは2011年10月にナルバエスとフルラウンド戦って判定勝ち。ナルバエスに初黒星をつけており、攻略法を聞くにはこれ以上ない人物。

 

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ドネアは井上にとって、デビュー前からその戦い方を参考にして来た程の憧れの存在だった。

 

「ナルバエスは自分のペースを掴むと強いが、相手にパワーを感じると、守りを固めて戦う。落ち着いて彼のスキを見つける必要があるよ」井上からのいくつかの質問に、ドネアは全て真摯に答えた。

 

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「ナルバエスはフェイントに引っかかりやすい側面がある。特に相手にパワーを感じるとフェイントに引っかかるので、そこから単発で終わらずコンビネーションを使うんだ!」

 

井上の練習を間近で見たレジェンドが言う。

「ナオヤのパンチは、とても大きな可能性を秘めている」

豪華興行「SUPER BOXEO」

この日はメインの井上ナルバエス戦の他にも注目カードが目白押し。

 

ボクシングフェス「2014 SUPER BOXEO」のタイトル通りの豪華カードがずらりと並んだ。井上、八重樫、リナレスの世界戦を含む5試合でのこのラインナップ。

 

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井上尚弥vsオマール・ナルバエス
八重樫東vsペドロ・ゲバラ
ホルヘ・リナレスvsハビエル・ブリエト
村田諒太vsジェシー・ニックロウ
井上拓真vsネストール・ナルバエス

 

今振り返っても、こんなメンツでの同興行はもう二度と無いかもしれない。

 

八重樫の敗戦はショックだった…

 

9月5日のロマゴン戦の激闘から4ヵ月経ってない時期での世界戦。ダメージは抜けきったんだろうかと心配な中でフライ級からライトフライ級へ階級を落としての王座決定戦。

嫌な予感は的中し、ゲバラに7回KO負け。

 

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短い試合間隔での連続KO負けは辛い。

とにかく今は休んでダメージを抜いて欲しい。

八重樫東はここで終わる男じゃないはず。そう思っていたけど、まさかたった1年後に世界王座に返り咲くとは。

 

メイン開始前。この熱いイベントに華を添えようと、会場の特設ステージでは人気グループ・湘南乃風のライブが始まった。

 

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代表曲”睡蓮花”のサビの部分。
「Ah  真夏のJamboree~」のところで会場の半分ぐらいのファンがタオルを振り回してノッていたけど、とてもそんな気分になれないぐらいに…   実は隣の席の人が気になって仕方なかった。

 

この日は友人と2人で来たので、僕の左には友人。右隣の席の人が、俳優の六角精児にそっくり!熱心なボクシングファンとしても有名な六角精児。

 

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最初は本人じゃないかと思い、友人に耳打ちすると「超そっくりだけど、本人ではないね」

 

隣の人は左頬に大きなホクロがあるけど、スマホで検索した本人の顔写真にはホクロはない。

 

それにしてもそっくりだ。ここまで似てると本人と間違われる事もあるはず…

 

セミの試合が全て終了し、いよいよ次は井上ナルバエス戦。客席もほぼ埋まっており、期待と高揚感でザワつく場内。

 

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両雄の入場コールが告げられた。

井上の火山が噴火

試合開始のゴングが鳴った。

 

「尚弥!今年を締めろよ!」

期待を叫びにするファンの歓声が響く。

 

ビルトアップされた井上の体が逞しい。
エネルギーの塊がシャープに動く。

 

サウスポーのナルバエスに対し、速い逆ワンツーを放つと、ガードの上から王者の体を揺らす打撃音が聞こえた。

 

開始30秒。右のダブルをガード越しに受けた王者。強打を吸収できずにダウン!

 

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アマ・プロ通した159戦でダウン経験なしの王者をいきなりぶっ倒した。
しかもガード越しになぎ倒した!

 

こんな倒し方。

今まで見た事があっただろうか。

立ち上がった王者をモンスターの強打が襲う。

 

ナルバエスがまた転がった。
速すぎて当たった様には見えない左フックで2度目のダウン。

 

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マイク・タイソンvsブルース・セルドン戦のダウンシーンを思い出した。風を切った様に見えたタイソンのフックでセルドンがダウン。風圧で倒れたのかビビッて倒れ込んだのか謎だが試合を決定づけたダウンだった。

 

この井上のフックも当たってない様に見えたけど、テンプルをかすっていたんだろうか。立ち上がったナルバエスのダメージは明らか。場内騒然。

 

信じられない事が起きようとしている。

友人が呟く様に言った。

「何だこれ。何が起きてんだ・・・」

 

六角が立ち上がって叫んだ。

「尚弥、決めろ!!この回で行けるぞ!!
決めちまえ~!!!」

うわっ。この人。
こんなよく通るデカい声出すのか。

 

井上もムチャ追いはする事なく、ナルバエスも落ち着いてピンチを凌ぎ、初回が終了。

 

実はこの初回。最初にダウンを奪ったパンチでモンスターの右拳は折れていた。

 

以下、著書「勝ちスイッチ」に書かれているその部分を抜粋。

 

“その瞬間、拳から肩のあたりまで電撃が走った。人差し指と付け根にある拳を支えている中手骨と呼ばれる部分が、ボキッと折れた。ナルバエスは倒れたけど、僕も致命的な怪我を負った”

 

ハードパンチャーの宿命。拳の怪我。

 

“その状態からでは他の選択肢はなかった。左拳だけで長いラウンド捌ける相手じゃない。早期決着で決めるしかない”

 

そんな事態が起こってるなんて、見てる時は全く分からなかった。

 

2回も挑戦者が王者を下がらせる。ドネアのアドバイスの言葉が頭をよぎる。「相手にパワーを感じると、フェイントに引っかかりやすくなる」

 

その通り、井上が右で威嚇すると警戒している様に見える。右拳がクラッシュしていたモンスターには好都合。王者が苦し紛れに左右を打って来た瞬間にカウンターが炸裂。

井上の左フックが命中。3度目のダウン。

 

六角の叫び声が響く。

「長引いたら分からんぞ!!
決めろ尚弥!!」

 

2回、残り1分を切ったあたり。
ナルバエスはもう万策尽きている様に見えた。

 

右は使えない。左で決める。

モンスターの渾身の左ボディーが
王者の右脇腹にめり込んだ。

 

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耐えきれずに座り込むナルバエス。
4度目のダウン。

 

友人も興奮で絶叫している。

「これ立てないっしょ!終わった!!」

 

レフェリーがカウントを数える。
観客全員が総立ちで、その瞬間を待った。

10カウント。試合終了。

 

熱狂が渦巻く。こういうモノを目の前で見せられた時、人々が発する言葉のボキャブラリーは少ない。「凄い。ヤバい。信じられない」

 

抑えきれない興奮と、凄い瞬間に立ち合えた満足感。巨大モニターでフィニッシュのシーンがスロー再生される度に8,000人の溜息が漏れる。

 

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この日、ボクシングファンにとっての東京体育館の記憶は悪夢から歓喜に変わった。

決着前にあれだけ大声で叫んでいた六角は、KO勝ちが決まると座り込んでずっとスマホをいじってる。

 

こんな記念すべき歓喜の瞬間に、僕は六角が誰にどんな連絡をしてるのかが気になっていた。

決着後のリング

帰宅するなり早速、録画再生でこのKO劇を振り返る。香川照之氏の絶叫ぶりが良い。

 

「地震が起きたみたいですよ!」

本当にその通りで、現地はまるで大地震が起こった様だった。決着後のリングで、ナルバエス陣営から「井上のグローブの中を見せろ」と言われ彼等の目の前でグローブを外して見せると「グレートチャンプ!」と言われる一幕があったらしいけど、会場に居る時は分からなかった。テレビで見るとその様子も映っている。

 

そして、号泣するナルバエスの息子。

 

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この時の彼は9歳。
この泣き顔を見ると、忍びない。

 

今まで倒される事など一度もなかった父親の初のKO負け。目の前で為す術なく4度ダウンする姿は、彼にとって辛く苦しい光景だったに違いない。

 

現在、この2019年には14歳になっているはずのナルバエスJr。もし彼がボクサーを志しているのなら、数年後にドラマの様な展開で来日する事もあるかもしれない。時としてそんなストーリーが自然と降って来るのもこのスポーツの魅力だと思う。

 

翌日の新聞各社は一面で日本の宝の快挙を報じた。

 

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回想:モンスターとドネア②

「ナオヤは若いのにベテラン選手のようなスキルを持っている。スピード、パワー、技術のすべてが揃っている。今日見た限りでは、やるべきことは分かっている印象だよ」

 

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ドネアはナルバエスがどうやってパンチを外すか、どういう場面でどういうパンチを狙っているかなど、自分の知っている事の全てを井上に伝えようという意欲に満ちていた。

 

その思いを、しっかりと受け取る井上。
「右ストレートを突破口にしようと考えていたけど、ナルバエスは右ストレートに右フックを合わせるのが得意だと聞いて、参考になりました」

 

ジムに取材に来た記者から、レジェンドに直球の質問が飛ぶ。
「井上はナルバエスに勝てますか?」

 

ドネアは人懐っこい笑顔で答えた。

 「きっと勝てます。ナオヤなら」

 

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練習を終えて、記念写真に収まるモンスターとドネア。僕はこの写真を見た瞬間から”ある希望 “を持たずにはいられなかった。

 

井上尚弥とノニト・ドネア。

いつの日か、この2人の試合が観たい。

 

運命が交わるのなら。

 

 

 

 

 

 

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