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ファン歴30年のボクシングファン。当メディア運営者のTokkyです。選手のセカンドキャリア、各界のファン達を始め人にフォーカスした独自の切り口での取材記事を発信しております!

業界の先駆けトレーナー 椎野大輝

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拳人のセカンドキャリア#8はこのお方です。元東洋太平洋バンタム級王者で現役引退後は三迫ジム所属トレーナーとして数々のトップクラスの選手達を担当し、現在はフリーのパーソナルトレーナーとして活躍されている椎野大輝さん。ジムから椎野さんが居なくなったら担当選手達がジム移籍を考えるほどに選手達と深い信頼関係を築いており、誇らしい実績を数多くお持ちのイケてるトレーナーです。そんな椎野さんに現役時代の思い出の振り返りから、現在のトレーナー業のやりがいや担当選手達への思い。今後の展望についてお聞きしました。

※この記事の取材時、2025年2月はフリーのパーソナルトレーナーだった椎野さんですが、2026年6月現在はDANGAN GYMのトレーナーとして活躍中です。

INDEX

椎野大輝プロフィール

椎野大輝
生年月日:1986年7月27日生まれ
プロ戦績:15戦11勝10KO4敗
第43代東洋太平洋バンタム級王者
現職:パーソナルトレーナー

主な経歴
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中学時代

畑山vs坂本戦に影響を受けアマチュアボクシングを始める

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三迫ジムに入門

射場哲也氏と出会いプロボクサーへ

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プロデビュー

2009.8.10 萩原猛に5回TKO勝ちでプロデビュー

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東洋太平洋バンタム級タイトル獲得

2013.6.10 デニス・トゥビエロンに2階KO勝ちでタイトル獲得

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ラストファイト

2014.10.13 坂本英生に5回TKO負け

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トレーナーに転身

三迫ジムのボクシングトレーナーとして活動開始

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独立

独立しフリーのパーソナルトレーナーとなり今に至る

射場哲也さんとの出会い

少年時代の椎野さんはどんな子供でしたか?

「とにかく落ち着きのない子供でした。ずっと外で遊びまわって怪我してばかりの少年時代でしたね。男三人兄弟の真ん中で、父の影響で小学校から兄弟全員で空手をやってました。それが格闘技との出会いです」

ボクシングをやろうと思ったきっかけを教えてください。

「中学生の時にテレビで畑山さんと坂本さんの世界戦を観て感動したのがきっかけです。当時はガチンコファイトクラブも全盛期の頃でした。体が小さかったので重量級のK1選手にはなれなそうだけど、畑山さんが戦っていたライト級は約60キロ。成長したらそれぐらいの体格にはなるだろうと考えてアマチュアボクシングを始めました」

そこからどのような経緯で三迫ジムに入門されたのでしょうか。

「大学卒業後はボクシングをやるつもりはなかったんですが、公務員の試験に落ちてしまって…どうしようかなと思ってた時に三迫ジムトレーナーの射場さんと出会ったんです。それが運命でした。三迫ジムに知り合いが居た関係で、ちょっと汗を流しに行ったらスパーをやる流れになり、その日の射場さんとの食事の場でプロを目指さないかと誘われたんです。実家の農家を継ぐことをぼんやり考えながらも軸が定まってなかったところに、熱い思いで誘ってくれて嬉しかったんですよね。元々プロボクシングは好きで倒しにいく戦いをやりたい!という思いも心の奥に眠ってはいたので、プロでやろうと決意しました」

プロになりたくて探したのが三迫ジムという事ではなくて、三迫ジムトレーナーの射場さんとの出会いからプロ入りまで同じ経緯で起きた出来事だったのですね。

「そうです。射場さんはアマチュアボクシングに対してリスペクトを持つ熱い人でした。この人とだったら一緒にやりたいと思ったからですね。そうでなかったらプロになってなかったかもしれません。僕の現役時代のトレーナーはタイトルを獲るまでは射場さん。岩佐戦から最後の3試合は加藤さんでした」

射場さんとの師弟関係が続いていたのは相性が良くてお互い信頼も深かったからだと思いますが、射場さんに指導されて納得いかない時ってありましたか?

「一度も無かったです。射場さんはいつも僕の考えを尊重してくれて、基本は僕に合わせつつプラスのアドバイスをしてくれたので」

自分はこうしたいという強いWILLが椎野さんにあったからでしょうか。

「そこまで強いWILLはなく、試合が決まってから僕が考える対策の足りない部分をフォローしてくれる感じです。僕は対戦相手の映像が8Rあったら1Rと8Rだけ見て、オーソドックスかサウスポーか?背が低いか高いか?足を使うかインファイトしてくるか?しかチェックせず深い研究はしないタイプでした(笑)そこに射場さんが対戦相手と似たタイプのスパーパートナーを見つけて来てくれたり、自分の現役時代の経験を元にアドバイスして背中を押してくれたり」

射場さんは温和そうな雰囲気で、激しく叱咤したりはしなそうな方ですね。

「はい。熱い人なんですけど強制はしないです。対人関係において常に相手の考えを尊重しながらも根っこの部分では一緒に上を目指そう!という思いを持っててくれる、ついていきたいと思えるトレーナーでした。射場さんが何でも話し合える関係性を作ってくれたので僕もすんなり入っていけましたね。射場さんは他の選手からの信頼も厚いんです。小原佳大はジムは違うけど射場さんにセコンドついて欲しいと直訴して、射場さんとチームを組んだ試合もあったぐらいですし、戸部洋平も射場さんを信頼してついて行ってました」

振り返る現役時代

現役時代で一番辛かった事や嬉しかった事、ご自身で選ぶベストファイトを教えてください。

限界まで追い込んだ減量

「ギリギリで乗り切った減量です。計量前日に1.5キロを半身浴で落とそうと銭湯に行ったら倒れてしまい、救急車を呼ばれそうになるぐらいの状態で…射場さんに早朝にジムを開けて貰って動いて無理やり落としてギリギリ計量クリア。肉体的な辛さでいうとその時が最も辛い記憶ですね。でもあれぐらいは皆やってたんだろうと思います」

眼窩底骨折の痛み

俳優の酒井敏也さんを取材した時、 椎野さんが岩佐さんと対戦した試合で椎野さんの顎がカクッっと折れる様な音がリングサイドで聞こえたのが忘れられないと熱弁されてました。その時のパンチって分かりますか?

「3Rに眼窩底骨折した時ですね。左ストレートを貰って眼窩底を二ヶ所骨折して全然見えなくなりました。めっちゃくちゃ痛かったです。3R終了後のインターバルで〈多分、目が折れてて二重に見えます。距離感が分からないので相打ちを狙います〉とセコンドに話したのを覚えてます」

言語化するのは難しいかもしれないのですが、眼窩底骨折した時ってどんな痛みなのでしょうか。

「脳みそを殴れる様な感じです。痛え~!!って感じ(笑)折れた後はその場所を殴られると痛みが響きます。効いてるのか?というと効いてはないのですが、神経を殴られるみたいな痛みで嫌になります。岩佐戦の時はダメージというよりも、視界が悪くて見えない中の被弾で倒れました」

周りが喜んだ東洋タイトル奪取

「一番嬉しかったのは東洋タイトルを獲った時に周りが喜んでくれたことです。僕自身はタイトルを獲りたくてやってるわけではなく、強い選手と試合をするのが楽しかったのですが、タイトルを獲るとこんなに周りの人を喜ばせられるのかと。もちろん自分も嬉しいですけど、応援してくれる人達が喜んでくれるのが嬉しい。デニス・トゥビエロンとのリベンジマッチで2回TKO勝ち!入念に対策をして作戦を立てて後半KOか判定勝ちを狙った結果、2回で倒しました。祝勝会にベルトを持っていったら皆がめっちゃ喜んでくれて…喜びを共有出来るってこんなに素晴らしい事なのかとその時に知りました」

その時のファンの人達の気持ち分かります!推しの選手が一ボクサーではなくチャンピオンになった瞬間の感動は果てしないものがあります。タイトルまで手が届かずに引退する選手がほとんどな中で、応援してた選手がタイトルを獲る。こんな嬉しい事はありません。

冨山浩之介戦の逆転勝利

キャリアの中でのベストファイトは東洋を獲ったデニス・トゥビエロン戦ですか?

「あと2試合忘れられない試合があります。冨山浩之介戦とダド・カビントイ戦。冨山浩之介戦は4戦目で船井龍一さんに負けた後の再起戦でした。格上の冨山浩之介さんを相手に、チャレンジ要素の強い再起戦を組んで貰えたんです。敗けたら引退の強い覚悟を持って臨み、初回にダウンを取られ視界が悪くなり大ピンチ!そこから挽回して判定で勝てた試合なんです。激しく殴り合って充実した8Rでした。最後まで気持ちが折れずに戦い抜いて格上の選手に勝った充実感は忘れられません。それと敵地で戦ったダド・カビントイ戦は3Rであばらを折られたけど11RでTKO勝ちしました。アウェイでの逆転勝利なので自分で自分を褒めたい試合でしたね!」

三迫ジムでトレーナー転身

現役時代から引退後はトレーナーになろうという考えはお持ちだったのでしょうか。

「まったく考えてなかったです。ラストファイトになった坂本英生さんとの試合の後、すぐには辞めたいと思わなくて。再起したいけど100%の気持ちにはなり切れない。そんなモチベーションのままお客さんにチケットを売るなんて失礼だしどうしようか…と煮え切れない思いを抱えながらジムの後輩のミットを持ち、トレーナーに近い事はやってました。再起するでもトレーナーに専念するでもない中途半端な状態の日々が続いていた時、吉野修一郎が入って来てくれたことが後押しになりました。こんなに素質のある選手を担当するなら、トレーナーに専念すべきだと踏ん切りがついたんです。それで現役引退を決めてトレーナーに転身です」

現役引退からトレーナーへの転身は、吉野修一郎選手の存在が大きかったのですね。

「かなり大きいです。アマチュアであれだけの実績を持つ将来有望な選手が、他の大手ジムと三迫ジムで迷った結果、三迫ジムを選んでくれて僕が担当する事になったんです。チャンピオンにしたい選手ですし、チャンピオンになれる選手ですから」

トレーナーの対応範囲

トレーナーの対応範囲については主に練習指導・メンタル指導・試合の戦略立案・試合までの減量フォロー等があると思います。それぞれ椎野さんがどの様に考えて取り組まれているか教えてください。

練習指導でのシャドーボクシングの位置づけ

あるドキュメント番組で井上尚弥選手がジムの後輩達に「皆、シャドーが足りないよ。もっと疲れるまでシャドーをやろう。シャドーが一番大事」と言ってたのが凄く印象深かったのですが、椎野さんもそう思われますか?先日、椎野さんがシャドーの大切さをSNSに投稿されているのを見ました。

「超共感です。井上選手のあの発言が広まって本当に感謝してます!シャドーで出来なかったらスパーでも出来ない。僕はミット打ちとサンドバック打ちはシャドーのオプションぐらいに思ってます。練習で大事なのはシャドーとスパーリング。何を意識してシャドーしてるのか?シャドーでリアルに相手を想定出来てるかどうか。そこが大切です」

他はオプションでこっちがメインというぐらいに、シャドーボクシングは大切なのですね。

「大切です。僕の担当の4回戦の選手が前の試合で両拳怪我をしてしまって、ミットもサンドバックも打たずに二ヶ月シャドーだけをやったんです。試合の直前だけミット打ちして試合に臨んだのですが、二ヶ月で大幅にレベルアップしました。何を意識してシャドーするのかを毎回話して確認して取り組んだら、怪我をする前より遥かに良くなったんです。それぐらいシャドーは大切なんです」

対戦相手が決まってる時は、その相手をイメージしながらのシャドーだと分かるのですが、試合が決まってない時の練習でもシャドーが一番大切なんでしょうか?

「特定の誰かを対策をするとか考えなくていい時こそ、自分を伸ばすチャンスなんです。こういうボクシングをしたいという理想があるのなら、そこに向かって自分を伸ばすシャドーが出来ますし、逆に苦手な事を潰す練習も出来ます。試合が決まってない時だからこそ出来る練習って沢山あって、そういう時が自分を底上げできるチャンス。僕は一日シャドーだけの日があっても良いぐらい大事に考えているので、バンテージを巻かず心拍数も上げなくていいから、丁寧にシャドーだけやろうと選手に言う時もあります。試合が決まってから頑張る人が多いのですが、試合が決まる前の練習も自分次第でいくらでも有意義に出来ます」

メンタル指導の目的は自信をつける事

「僕は選手に自信をつけさせる言い方をする様に心がけてます。発言する言葉をポジティブに変換するんです。〇〇はしない方が良いとか〇〇をするなではなく、〇〇をした方がいいね!という変換です。人ってどうしてもネガティブに引っ張られてしまうし、ボクシングはネガティブな話が必ず出て来るので、それをどうポジティブに変えるかを考えます。〇〇はするな!と頭ごなしに言う事はしません。言われた方はじゃあどうすりゃいいの?ってなりますから。自分の成功体験を担当選手に押し付けてはいけないと思うので、僕はこうしろとは絶対言わない様にしてます。こういう方法もあるよというアプローチです」

名選手は名トレーナーになれないという言葉がありますが、名選手(例えば世界王者の実績等)じゃなくても名トレーナーになれるが正しい表現だなと思います。ネガティブ→ポジティブへの変換は会社組織で課長・部長クラスの人が部下のマネージメントを考える時の話にすごく似てますね。

現役時代とは真逆の戦略立案

「自分が現役の時はリスクを顧みず倒しに行ってました。相手のパンチを避けるよりもカウンターを合わせたいと思ってましたが、トレーナーとしての僕の考えは真逆。ダメージを負わないことが最優先です。まず〈勝つこと〉と〈ディフェンス〉が優先。選手達には、判定勝ちを考えて戦略を立てるから倒せたらラッキーだと思ってねとよく言ってます。不用意な被弾をしない事が大事なのでディフェンス重視です。藤田炎村はもともと巧いタイプでは無かったけど、だんだん被弾数が少なくなったと思うんですよね。ジャブも使える様になりましたし。僕はそういう所をすごく意識してます。まずは勝つこと。そして貰わない事。全ての選手にこれが合うわけではないですが、基本はこの考えが軸です。あとは選手の状況や試合によって調整していくスタンスです」

必要な分だけ踏み込む減量フォロー

「選手によっては体重管理までやります。試合が決まってなくても今何キロ?と聞いて食事面から栄養指導まで必要な選手にはフォローします。ある選手の場合は自己管理出来るかどうか心配だったので、一緒に住んでる彼女に電話して食事の内容と量の管理をお願いしたこともありました。どこまで踏み込むかは選手によってですね。その選手にとって必要な分だけ踏み込む様に意識してます」

選手達に信頼されているのは、必要な分だけ踏み込むという所の椎野さんの距離感・スタンス・立ち回りの感覚が結果として正しかったからなのでしょうね。

トレーナーとして心がける3つの事

椎野さんがトレーナーとして特に大切にしている事。心がけている事をお聞きしたいです。

人対人の信頼関係を作る

「一番大事なのは選手と人対人の信頼関係を築くことです。トレーナーと担当選手の関わりってジムの中だと1日で2~3時間程度。それだけじゃ信頼関係は築けないので、僕は担当選手達とジム外で食事に行ったり家族の話を自分からしたりします。まずこちらから選手を信頼して接します。選手から本音を話してくれる関係性を作る為に、自分から本音で話す様に心がけています」

その椎野さんイズムは射場さんの影響が大きいですか?

「大きいですね。射場さんとはよく飲み行って話してて僕にはそれがしっくり来てました。射場さんをトレーナーとしてだけでなく、人として信頼していたので射場さんの言葉がスッと入って来たんです。射場さんとのコミュニケーションで感じていた《我慢せずに本音を言い合える安心感》は自分がトレーナーという立場になってから、以前より強く意識する様になってます。まず技術論より先にそこからだと思うんですよね」

その選手に伝わる言葉を使う

椎野さんが選手に強く言ったり叱ることってあるんですか?

「だめだと思う事に関しては怒りますが、感情的になって怒っても相手の為にならないのでしません。怒ると叱るは違います。場面によって感情論や根性論が必要な時もあるかもしれませんが、僕はあまり好きじゃないです。それだけでは今の選手達には絶対に伝わりません。もちろん根性は必要ですが、上に行く選手なら根性は元から持ってますよ。なので僕は自分が感情的になってしまった時は一回冷静になって、一呼吸置いてから選手をフォローする様にしてます」

怒ると叱るは違う…分かりやすくて響きます。選手からしたら、そういう言語化能力を持ってる人がトレーナーだったら自分の状況によって的確な言葉を伝えてくれるという安心感が持てそうです。

「それはすごく意識してます。同じ言葉でも選手によって伝わり方は違うので、選手の性格や状況を踏まえたうえで相手によって伝え方を変えてます」

相手によってコミュニケーションを変える。必要な言葉を瞬時に選んで伝えるのはボクシングトレーナー以外の様々な職業においても1流とされるスキルだと思います。

主役は選手である事を忘れない

「今はパーソナルトレーナーとしてフリーで活動しているので、複数のジムの選手と関わりを持っているのですが、色々な意味で選手が我慢しないといけないジムが多いなと思ってます。でも主役は選手なんです。僕らトレーナーはサポーター。主役が強くなることを考えなきゃいけないし、主役がやりやすい環境を整えないといけない。トレーナーと選手の関係は子育てと似てる所があると思ってます。子供が育つのを親が邪魔しちゃダメだし、出しゃばり過ぎも良くない。親が出しゃばって育てた子供って何も言えない子供になっていくし、良い人間ではなく都合のいい人間に育ってしまうと思うんです。だから僕は主役は選手である事を忘れません」

椎野さんらしいスタンスですね。主役である選手が試合前にピリついていたり、試合に負けた時の第一声はどんな声を掛けられるのでしょうか。

「試合前は選手がピリピリしているところに突っ込んでいきます(笑)普通に日常会話をします。あえて接し方は変えません。そうしないと一緒にピリピリモードになってしまうので。試合に負けた直後に話しかける言葉はダメージは大丈夫?怪我は大丈夫?です。負けってトレーナーである僕の責任ですから。僕がもっと別の対策をしていれば良かったという話なので、選手と一緒に反省という感じです」

藤田炎村vs李健太戦の試合後の控室。藤田選手が泣いてるところに椎野さんがずっと隣に座っているシーンがとても印象的でした。

トレーナーとしてのやりがい

トレーナーとして一番悔しかった試合、嬉しかった試合、やりがいを感じる瞬間についてお聞きしたいです。

一番悔しかった吉野修一郎vsシャクール戦

「これまでで一番悔しい試合です。6Rで止められてTKO負けでしたが、ダメージはそこまで深くなかったので吉野はまだまだ戦えました。あんな大きな舞台でチャンスは貴重なので、やるならぶっ倒れるまでやらせてあげたかった。僕の力不足でシャクール対策で至らない所がありました。めちゃくちゃ強かったですけど、吉野ならもっと出来る事があったと思う。今思い出しても悔しいです」

自分が勝つよりも嬉しい担当選手の勝利

「担当選手が勝った時はいつも嬉しいので、どれが一番ってパッと出て来ません。どの試合も嬉しい…というよりかはホッとする気持ちの方が大きいですね。自分が勝つよりも嬉しいです。トレーナーとして最もやりがいを感じる瞬間は、僕のパーソナルを受けた選手が試合で結果が出て、椎野さんありがとうございました!って言われた時です。この仕事をやってて良かったと心から思います」

ジム所属からフリーのトレーナーへ

三迫ジムを辞めてフリーのパーソナルトレーナーになった経緯について教えてください。

「僕に担当して欲しいと言ってくれる人は担当したいからです。教えるって言葉はあまり好きじゃないんですけどね。僕は自分を頼ってくれる人の力になりたいんです。今のライセンスルールではジム所属のトレーナーだとそのジムでしか働けません。ですがフリーになれば自由です。僕を頼ってくれる人に対して自由に時間を使うためにフリーになりました」

教えるって言葉が好きじゃないって、椎野さんぽくて良いですね。

「教えるって上からになっちゃうので。どちらかというと僕は一緒に作っていきたいスタンスです。今は所属ジム関係なく、ボクシングだけじゃなく総合格闘技やキックボクシングでも僕を頼ってくれる人に僕が持っているものを伝えられる環境になりました」

フリーになってからやりがいの部分ではどういう変化がありましたか?

「三迫ジム時代も楽しかったし、とてもやりがいがありました。今はお金を払って僕に教えて欲しいという選手がお客様なので、パーソナルでの練習でもオンラインでの会話でも、お金をいただく以上は責任があります。収入面ではフリーになった今の方が遥かに良いですが、一方でその収入が安定しているか不安定かというと自分次第なところが三迫ジム時代とは違いますね。三迫ジム所属時代に積ませていただいた経験があっての今ですから、三迫ジムには感謝の気持ちしかありません。三迫ジムでの経験と実績を看板に出来てるから、今の仕事があると思ってます」

選手がフリーのトレーナーに指導を依頼する背景

今の担当選手達は具体的にどのようなニーズや課題を持って、椎野さんを頼って来るのでしょうか。

「僕はジム所属ではないので試合の時にセコンドに入ることはできません。なので普段の練習を見て欲しいという依頼が多いです。パーソナルトレーニングで練習の質を上げたり、普段の練習にプラスアルファが欲しいという依頼です。その背景にはジムにトレーナーが居ない(居ても少ない)ので、所属ジムのトレーナーと考えが合わなかった場合など、頼れる相談相手が限られてしまうという業界の課題も垣間見えます」

ボクシング業界の課題

「そもそもトレーナーになりたい人が少ない事が課題だと僕は思ってます。ボクシングトレーナー1本では食べていけないからトレーナー業は副業になり片手間でやるしかない。それだと結果を出すんだという責任感が持てない。どうしても本気度は低くなってしまいます。人生懸けてトレーナーやるぐらいじゃないと、人生懸けてボクシングやってる選手に失礼だと思うんです。僕はトレーナー1本ですし、人生懸けてトレーナーやってますから。家族を養っていく為にも中途半端にはできません」

結果を出すトレーナーがもっと経済的に恵まれるシステムがあれば良いのにと思います。

「そうなんです。今の日本のボクシングトレーナーは夢がないんです。だからやりたい人がいない。ボクシングが好きで選手が好きでも、夢がないから本気で人生を懸けられない。覚悟を決めてトレーナーを出来ない状況は改善していかないといけません」

確かにそうですね…そういう意味ではフリーのトレーナーになった椎野さんのこれからの活躍はとても興味深く、ボクシングファンとしても期待が大きいです。

「今のライセンスのルールだとジムに所属したトレーナーはそのジムでしか働けません。それだとボクシングトレーナーをやりたい人が増えないですし、指導者が増えないとボクシングが出来る場所も限られてしまいます。トレーナーのレベルが上がらなければ業界そのものの未来も厳しい。現役を引退した後のセカンドキャリアでトレーナーをやりたい人がもっと増えればジムは勝手に増えると思いますし、ボクシングが出来るところも増えるんです。ライセンスでトレーナーの仕事を縛る今のルールは考え直す時に来てると思います。それは業界の上の人が決めることですが…選手のジム移籍も昔よりは随分と融通が利く形に変わってきたので、トレーナーの問題に関しても改善されて欲しいと願ってます」

これから叶える夢

椎野さんがこれから成し遂げたい事。夢を聞かせてください。

担当選手と世界の舞台へ

「ついて来てくれる選手と一緒に世界の舞台で戦いたいです。今10代の若くて勢いのある選手がひとり担当でいるのでワクワクしてます。やっぱり世界を目指す選手と世界のリングで戦いたい。なのでいずれはプロの世界に戻ろうとは思ってます。セコンドに入るにはどこかのジムに所属するしか選択肢がないならそうするしかありませんが、少しずつ例外も出て来てます。堤聖也選手の石原トレーナーは角海老ジム所属のトレーナーではありませんが、ジム同士が堤聖也選手の為に協力してあの体制を作ってます。寺地拳四朗選手と加藤トレーナーの関係も同じ。ジム側が選手の考えに理解があって協力してるんです。おそらくこのケースはもっと増えて来ると思いますし、更にフリーのトレーナーも選手が望めば協力体制を組める様になって欲しいところです」

トレーナーを志す人のサポート

「ボクシングトレーナーをもっと良い仕事にしたいですし、トレーナーを志す人をサポートをしたい。ボクシングは素晴らしいスポーツだと思っているので、広めたい気持ちがあります。最近も何人かにパーソナルトレーナーのやり方や指導法を相談されて、僕のやり方を伝えたりしてるんです。僕は子供が3人いるんですが、ボクシングトレーナー1本で子供3人育てれるんだというのを見せることで、志す人が増えてくれればと思ってます」

いつか自分のジムも

「三迫ジムを辞める時、ジムを開けばという声を沢山かけて貰えたんですけど、まだプレーヤーでいたいので作りませんでした。今は自由だから選手と一緒に世界を飛び回る事も出来る身です。将来的には自分のジムを持って所属選手と世界のリングに上がりたいし、トレーナーになりたい選手には僕のジムでトレーナーとして働いてもらいたい。そういうジムを作るのもひとつの夢です」

もし業界のルールが今のままで変わらなかったとしても、椎野さんは椎野さんで逞しく今のままで活躍し続けられそうですね。

「今は体力があるから良いですけど、60歳まで出来るかというとどうですかね(笑)やりたい事をやっていきたい。これから先の夢をどう叶えるかを考えつつ、僕を頼ってくれる人に対して何かの力になれる様に頑張っていきます!」

取材を終えて

椎野さんは「業界の先駆けトレーナー」です。椎野さんがトレーナーとして心がけている3点。人対人の信頼関係を作る。その選手に伝わる言葉を使う。主役は選手である事を忘れない。これって優秀なビジネスマネージャーが部下をマネジメントする時に必要な考えに近しいものがあります。岡部繁さんを取材した時に感じたのと同じ感動を取材中に感じてました。このレベルの考えを当然の思いとして持ち合わせている椎野さんだからこそ、藤田炎村選手や鈴木なな子選手の様な若手のトップクラスの選手達から絶大な信頼を得ていたのだと合点。吉野修一郎選手のシャクール戦を「悔しい。今思い出しても悔しい」という、熱い思いがある一方で「怒ると叱るは違います」という的確な言語化!どのトレーナーも持ち合わせているスキルではなく、椎野さんならではのストロングポイントです。

そんな優秀な椎野トレーナーがこれからどのように活躍していくのか。それはイコール選手達のセカンドキャリアの中で、トレーナーという職業が今後どれだけ魅力的な選択肢になるのか?に直結するのは間違いありません。頑張れ椎野トレーナー!椎野さんにコンタクトを取りたい方、指導相談をしたい方はこちらからご連絡ください。椎野さんの経歴やサポート内容が詳しく掲載されている椎野大輝オフィシャルサイトです!

以上、拳人のセカンドキャリア#8 業界の先駆けトレーナー椎野大輝でした!

※この記事の取材時、2025年2月はフリーのパーソナルトレーナーだった椎野さんは、2026年6月現在はDANGAN GYMのトレーナーとして活躍中です。

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