観戦記

This is BOXING 井岡一翔vs田中恒成 現地観戦記

コロナ過元年となったの2020年。最後の夜。12月31日の大田区総合体育館。

 

日本人初の4階級制覇王者井岡一翔と世界最速3階級制覇王者の田中恒成が激突。心・技・体を極め複数階級を制覇した達人同志の究極対決。試合を作ったのは挑戦者で、コントロールしたのは王者だった。

 

全ボクシングファン待望の夢の対決は文句なしに2020年の年間最高試合。勝利者インタビューで井岡一翔がこの試合を観たファンの感想を代弁してくれている。

 

「This is BOXING」

 

この一言に尽きる。歓声禁止の会場での鳴りやまない拍手。あの熱い夜の記憶を振り返ります。

 

難解の勝敗予想

ボクシングファン同士で試合の勝敗予想を話す時、主にこの3つのポイントを軸に会話する事が多い。

 

・どんな試合展開になりそうか?
・キーポイントになるパンチは?
・最終的にどちらの何が上回る?

 

この試合の予想について会話すると不思議とあまりそういう話にならない。ボクシングスキルは両者共に最上級なので、キーポイントになるパンチは?という話にすら発展せず、いきなり「井岡の経験と田中の勢い。貴方はどっち派?」という核論についてそれぞれの見解の話す展開になる。

 

試合が発表された時点では五分五分に近かった予想が、決戦の日が近づくにつれて田中有利に傾いていった。

 

フライからSフライ級へと1階級上げて戦う田中のリングパフォーマンスは普通に考えれば”未知数”だと思うのだけど、破竹の勢いで3階級を制覇した天才だけに多くのファンは階級アップによる戦力鈍化は無く、更に勢いづいた強さを見せる田中恒成を期待している様に感じた。

 

それはすごくわかる。

 

ボクシングのこれまでの歴史の中で「まだ早いんじゃないか」「1階級の差は大きい」という戦前の懸念を、言語化不可能な突破力で突き抜けてしまう試合は実際にあったし、田中恒成のこれまでの試合を見れば見る程”その類”のものがあるのは間違いない。

 

けど僕の予想は井岡の判定勝ち!

 

 

井岡の経験が田中の勢いをほんの少し上回っての僅差の判定勝ち。この試合の展開を予想するうえで大切なのが階級の壁。

 

田中と同じ様にミニマム級からスタートしたロマゴンはSフライまで4階級を制覇。フライまではKOしていたのにSフライに上げた途端にパワーのアドバンテージが激減した印象が強い。田中本人はSフライがベストウェイトと言ってはいるものの、2019年大晦日のウラン・トロハツ戦を現地で見た時、映像で観るよりも小さく感じた。ミニマムからフライまでは良くても、Sフライでは戦力の貫通度が下がる可能性はありそうに思えた。

 

ここを予想するのは難しい。

 

パッキャオの様に意味不明(褒め言葉)な階級突破をする選手は稀だし、本当にやってみないと分からない。現地で見た田中の体格からして仮に田中が勝つにしてもSフライに上げて一気にパワーが爆発した井上尚弥vsナルバエス戦の様な圧勝劇が起きることはなく、きっと接戦になるはず。

 

スピード重視の出入りの激しいボクシングをベースにしつつ、挑戦者らしくラウンド中に山場を作りにいく田中と、デラ・ホーヤに似てややディフェンシブな万能型スタイルの井岡。2人が向き合うシーンを想像すると、井岡のジャブが見栄えよくヒットする絵が目に浮かぶ。クリンチ無しの噛みあう攻防が続くナイスファイトの末に、僅かなパンチの的確さで1~2ポイント差で井岡かな~と。

 

勝敗予想とは別の話で、より感情移入出来るのはどちらか?という点でもこの試合に関しては井岡側。これまで田中恒成の試合では田中を応援していたけど、相手が井岡となると思いも変わる。

 

30歳を超えて子供も生まれ、「家族の為にも負けられない」という井岡の言葉に自分との共通点を多く感じるのが一番の理由。田中は負けても次があるけど井岡は負ければ厳しい。ここを突破して、海外の強豪達とのビックマッチに辿り着く井岡が見たい。

対照的なSNS発信

試合発表から当日までの、2人のSNSでの発信内容は対照的。

 

井岡:Instagram、YouTube

息子や奥様と過ごす家族時間メイン。

 

田中:Twitter、Instagram、YouTube

シャドー動画等、体の仕上がり具合を公開。

 

更新頻度は圧倒的に田中。つまりInstagramを見ない人に井岡の情報はあまり入って来ない。その為かTwitter上では「田中は絶好調みたいだけど。井岡はよく分からない」という肌感を持つファンのツイートを良く見かけた。

 

畑山隆則氏はYouTubeぶっちゃけチャンネル内で、2人のSNSの発信内容を比較してこうコメント。

 

「ハングリーな感じの田中選手と比べて、家族と楽しそうにしてる井岡選手を見てると・・もう金も沢山あるしさ。ボクシングなんてやりたくないのでは?っていう感じがする」

 

僕は井岡がそういうモチベーション(もうやりたくない)とは思わない。けどそういう捉え方があるのは分かる。現役最後の試合となったロルシー戦の畑山氏自身がそうだったから。初めて息子をトレーニングキャンプに同行させて、練習に集中出来なさそうな様子のシーンがドキュメント番組「ZONE」で放送されていたのを思い出す。

 

坂本博之戦で燃え尽きたところがあった彼のそういう人間らしいところは個性であり、魅力でもある。

 

ただ井岡に関しては息子が生まれた直後にシントロンというトップクラスの強敵を見事に撃退して見せていたし、モチベーション低下は心配無用だと思っていた。田中戦が決まる前から、SNSでの発信ネタはボクシングよりもプライベート寄り。井岡はもともとそういうスタイルなのだから。

「なるようになる」の意味

コロナ感染状況の悪化で無事に開催できるかどうかの不安もあった中で、無事に両選手が計量とPCR検査をクリア!

 

試合当日。

京急蒲田駅を降りて歩きながらツイッターを見た時、田中恒成のツイートに少しだけ違和感。

 

 

試合が発表された日に「俺は負けない。必ず倒す」とツイートしてから、一貫して各メディアに好調ぶりをアピールしてきた彼のそれまでの口調と、当日のこの「なるようになる」という言葉がアンマッチに思えてピンと来ない。

 

辞典で調べたところ「なるようになる」とは”物事というものは自然のなりゆきに従うもので、人為でどうこうなるものではない”という意味。

 

井岡に勝利して4階級制覇を達成するという運命はもう決まっている。自分はそれ程の星の下に生まれている。そういう意味での”なるようになる”と捉えられなくもないけど、その場合はもっと別の言葉を選ぶんじゃないだろうか?その疑問を友人にLINEしたら、すぐ返信が来た。

 

「やるべき準備は全てやった。これで勝てなくても後悔はない。それぐらいに自分を追い込んで仕上げて来たから、後はなる様になる。という意味じゃないかな。そう言えるぐらい完璧に近い準備とコンディションが出来たという事だと思う」

 

なるほど!最速3階級制覇の達人が試合当日に呟く言葉なのだから、きっとそういう意味に違いない。しっくり来た~!と思い巡らせながら歩くうちに会場に到着。

 

佐々木尽と拍手Time

大田区総合体育館。
ここに来るのはちょうど1年ぶり。

 

会場入りすると、観客達が発する目に見えない期待感が空気と一緒に漂っている様に感じて体中にアドレナリンが。真冬なのに全然寒くない。

 

着席してパンフを吟味。

この日はメイン以外も好カードが組まれている。

 

 

比嘉大吾が文句なしのKO勝ちでWBOアジアパシフィック王座を奪取した後、メイン開始まで時間が空いたので予備カードの選手達が入場。

 

その時、佐々木尽がすぐ横を通って通路に歩いていくのが見えた。先日見事なKO勝利で日本Sライト級ユース王者となった注目のパンチャー佐々木尽。僕はこの選手にハンパなく熱い思いと期待をよせている。

 

 

コロナが無ければ声をかけて握手して貰いたいところだけど…都内の感染者がついに1,000人超えというニュースが流れたタイミング。さすがに今はファンであっても声掛けや握手のお願いはするべきではないので我慢。ちきしょうコロナめーー!!

 

予備カードが終わり、場内が暗転しメインイベントへ。究極対決のセレモニー開始。

 

4階級王者と3階級王者がリングインして選手コールを待つ間に、鳥肌が立つ”拍手タイム”があった。その時の様子をボクシングファンがツイートしている。

 

 

本当なら間違いなく耳をつんざく様な両者の応援合戦のコールが起きているタイミング。声を出せない切なさ。無事に試合開始まで辿り着いたという安堵。この聖戦の現場に立ち合えるという興奮・・

 

試合の開始前に2,057人の思いがひとつになった。本当に忘れらない瞬間だった。

 

挑戦者 田中恒成

ゴングが鳴った。

 

井岡と向き合う田中。体格差ハンデは全く感じない。トロハツ戦の時に小さいと感じた自分の感想と、Sフライでの田中は未知数では?と懸念していた思いはもう消えている。凄いモノを見せてくれそうなオーラが湧き出ている。

 

数発の左ジャブの後、挑戦者の右ストレートが王者の顔面を捉えた。

 

井岡曰く「右ストレートが来ると思って、いなしながら左フックを打って体の位置を変えようとしたけどイメージよりワンテンポ速く拳が飛んできた。インパクトの瞬間に殺してはいるけど、倒れてもおかしくなかった」という1発。

 

いきなりのオープンニングヒットを決めた田中曰く「あわよくばこれで終わってくれ、と思いながら打ったパンチ。左ジャブからの右ストレートを最初に打とうと決めていた」という1発。

 

観客席からはまともにクリーンヒットした様に見えて、十分な威力も伴った一発に見えたけど、井岡は落ち着いて左ボディーを返し挑戦者の顔をジャブで跳ね上げ、終わってみれば初回をコントロール。

 

1ラウンド終了の瞬間。2,057人の観客達がマスクの中で息を吐く音が聞こえる。長谷川vsモンティエル戦の初回終了後に近い空気感。極限の3分間から一旦は休めるという解放感。歓声を上げる事が許されない空間なので、息を飲む音がよりリアルに聞こえる。

 

名勝負の予感。
これはヤバい。

 

2回から田中が挑戦者らしくプレスを強めたアタックを仕掛けていく。

3回の中盤あたりから井岡が田中を見切ってきた。距離を詰めようと田中が前進する分だけバックステップしたり、距離で外せるパンチは1・2ラウンドよりも余裕を持った距離で外す。接近した瞬間に先に打って先に離れるという得意のリズムを掴みかけている様に見える。

 

それでも次の瞬間に田中の右が決まるかもしれない。初回に当てたあの右が、今後は井岡のガードを突き破って火を吹くんじゃないかと想像させる躍動感が田中にはある。

 

4回。井岡から強い右を叩き込む。田中もコンビネーションで応戦。「こいこい」と手招きする井岡と、圧力を強める田中。井岡の右ストレートが決まり田中は鼻血を出し始めた。

 

クリンチや無駄な揉み合いが一切ない。一瞬も目を離せない、激しく眩しい4つの拳の交差が続く。なんて美しいスポーツなんだろう。やがてどちらかに勝敗がついてこの試合が終わってしまうのが残念…井上ドネア戦 のテレビ解説をしながら長谷川穂積が漏らした言葉を思い出す。「ずっと見ていたい」

 

ロマチェンコのハイテクなボクシングはウクライナが生んだ芸術と言われていてその通りだけど、戦う選手達が2人で作る芸術もある。この試合は間違いなく芸術の域の試合。

王者 井岡一翔

5回。

試合が動く。

 

田中は標的を絞る様に左ジャブを打つけど、思うように右まで繋げられない。井岡の左フックがダブルで決まる。ボディから上へのコンパクトなパンチの繋ぎに田中は反応が間に合ってない。

 

多少の被弾は想定済みで、それでも行くという考えで攻めているのだろうけど、”見えてない貰い方”が増えて来てる。このラウンドはこれまでで一番明白な井岡ペース・・そう感じた次の瞬間。

 

左から始めるコンビネーションの最中、挑戦者の空いた右側の顔面に王者の左フックが炸裂。

 

田中ダウン。

腰からキャンバスに崩れ落ち、立ち上がってすぐに5回が終了。

 

6回。

井岡は動くサンドバックを打つかの様に、自由自在に入れたいパンチを入れていく。田中は明らかにこれまでよりも反応が鈍い。それでも1分過ぎからプレスを強めて左ボディーからの右ストレートを放つものの、井岡は貰わない。

 

そして2度目のダウンシーン。

ここでも左フックで田中ダウン。

 

お互いに左フックを打つタイミング。挑戦者がフックのモーションに入るところで王者は既にパンチを振り切っていた。

 

田中がすぐに立ち上がって試合再開。すぐに立たずに8カウントまで休めばいいのに・・この試合の2週間前の中谷正義vsフェリックス・ベルデホ戦で、ダウン後に8カウントまで片膝をついて休むベルデホの姿を思い出した。海外の選手は8カウントまで休む光景をよく見かけるけど、日本人選手はすぐに立つパターンが多い。

 

田中のこの2度目のダウン。1度目のダウン以上に精神的にも肉体的にもダメージがあるだろうに・・それでもすぐに立ち上がるのは戦う本能なのだろうか。再開後、田中が強引に井岡をコーナーに追い込んでラッシュするも空転。

 

7回。

起死回生を狙ってスタンスを変える事なく前進する田中。これまでの世界戦でも、全ての試合で自分から見せ場を作りにいって勝って来た田中恒成。挑戦者らしい戦いぶりに心打たれる。

 

ショートレンジでのボディーの打ち合いでも井岡の精度が上回る。完全なる井岡ペース。相手がやりたい事が分かってる。

 

ラウンド終了間際に挑戦者はスイッチをした。スイッチなんてするタイミングじゃないのでは。それが通用する相手ではないのでは?そこまで田中が追い込まれているという事なんだろうか。

決着

8回。

自分を信じて左右を放つ田中恒成。

試合をコントロールする井岡。

 

決着の時が訪れる。

またしても王者の左フックが挑戦者を貫通。

 

ダウンを拒否しながらも足元が定まらない田中を染谷レフェリーが救った。

 

8回1分35秒。

井岡一翔がTKO勝利。

 

井岡勝利を予想していたとはいえ、試合内容は予想していたものは全く違う内容だった。もしTKOで決着するなら田中恒成だと思っていたのに・・とんでもないモノを見せられた。

 

放心状態。

動けない。

 

健闘を称え合う両者が美しい。

立ち上がって拍手したいけど、脱力感で動けない。

 

応援団のいる方角に深々と頭を下げる挑戦者。畑山隆則との日本人対決の世界戦に敗れた坂本博之がリングを降りる時、坂本に注がれた熱いファンの叫びを思い出す。

 

きっとこの試合を観た全てのファンが、挑戦者らしく素晴らしい試合を見せた田中恒成に感謝と激励の思いをきっと叫びたい思いでいるのに・・

 

叫ぶという行為。今日はそれが許されない。

拍手する事しか出来ない事の辛さを最も痛感したのもこの時だった。

 

一番、意外だったコメント

一緒に観戦したファンはもちろん、テレビでこの試合を見た普段はボクシングをそこまで見ないかもしれない一般層の視聴者も両雄を大絶賛。このスポーツを長く見ているファンから 、たまたま見た人まで含め誰が見ても良さを感じる試合をしてくれたと思う。

 

僕はこの試合でまたひとつボクシングの奥深さ知った。試合後の関係各社のコメントの中で、最も印象的なのは井岡が所属するAmbitionGYMの野木トレーナーの専門誌での言葉。同門となった井岡一翔と比嘉大吾は何度かスパーリングをしているらしく、そこからの流れで試合後の井岡との会話を共有してくれたのだけど…

 

「試合後、一翔は”田中君は大吾より正直だった”と言ってました」

 

超、意外だった。

 

1ファンとして比嘉大吾と田中恒成のスタイルや過去の試合映像を見る限り、正直なボクシングをするのはどちらか?と問われれば比嘉大吾だと思うのだけど、実際に両者と手を合わせた井岡が「田中君の方が正直だった」と言っている。なぜなのか。試合中の例えばどういう場面でそう思ったのか?そう考えながら過去の試合を見返すと、また新たな発見がありそうで楽しい!

 

ボクシングというスポーツはどこまでも美しく、面白く、奥が深い。知れば知るほど魅力的で深みにハマる。

 

コロナのせいで仕事や私生活で色々な変化を求められた2020年。変化を求められ、それに応えていく事は大変でしんどい年だったけど、大晦日の試合で”変わらないボクシングの魅力”を体感出来た事で、日々を生きるエネルギーを満タンに充電。両雄のおかげで良い年越しになった。

 

This is BOXING

ボクサーに向ける”ファンの思い”も美しい。

敗れた田中恒成の戦いぶりや試合後の姿、言動が心の琴線に触れて「応援したい気持ちになった」「次から彼を応援したい」というファン達のコメントが堪らなく心地良い。

 

生まれてから死ぬまで、全てに勝ち続ける人なんていない。誰しもが人生の何処かで何らかの挫折や敗北を経験する。だからファンは試合に負けた選手を見た時、そのボクサーに自分を重ねて感情移入していくんだと思う。「全勝・無敗」に憧れの感情を抱きつつも、
「敗北」にはより強く感情移入。「挫折からの返り咲き」にこそ感情スイッチは最大反応。

 

今の日本ボクシング界は憧れの象徴の様な選手から、挫折の最中にいる選手まで全てが揃っていて、且つ純粋なボクシングスキルでも過去にないぐらいレベルの高い選手が沢山の黄金時代。

 

2020年度の年間最高試合。リングに浮かび上がる2人の生き様。美し過ぎる名勝負。

 

This is BOXING

 

井岡一翔と田中恒成。あの日あの場所で、熱い試合をありがとう。

ライバルの言葉

後日放送されたドキュメント番組で、試合後に井岡が田中の控室を訪ねる一幕がある。2人はそこで握手を交わし、互いに激励の言葉を掛け合った後、井岡が一礼して控室を出ていくというシーン。

 

ここでの井岡一翔の一言が良い。

 

「ちょうど通ったから」

 

疑惑判定、体重超過、王座乱立…酷いニュースも多いボクシング界だけど、このスポーツを観て来て良かった。好きで良かった。このスポーツを好きでいる自分が誇らしい。そんな気持ちにさせてくれる、爽やかにサラッと発したチャンピオンの言葉。

 

きっと忘れない。

 

 

 

 

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